2012年のこのブログを振り返って


完全に考える力が萎えきってる。


短文、短文、また短文。


どうかしているしどうかしていることはわかっているしどういう理由でそうなっているのかもわかっているのだけれどもどうにもならない。


今その改善のためにちょっと実験してみてるけどちょっとヤバいことになるかもしれない。


それくらいなんかどうしようもなかった。


せめて本くらいまともに読めるレベルに戻りたい。


アニメにも特撮にもなんか急激に関心が低下してきている。


あー、これって、これが鬱ってやつなのかそうなのか。


来年こそは本を読みたい。


なんて小さな願望なんだ。


もうね、死ね。


眠剤飲んで煙りたいて死ね。


実際、このブログから練炭と七輪を買った人がいるんだから、お前もさっさと買え。


カネがないとか言うな。


借りてでも買え。


死んで踏み倒せ。


グダグダの状況を解決したけりゃそうしろ。


なんかだんだんネット右翼の気持ちが分かってきた気がする。


「とりあえずの敵」がいればそれで満足できるんだ。


その「とりあえずの敵」が俺には今欠けているんだ。


敵が欲しい。


俺の敵はどこへ行ったんだ。


狂おしいまでに憎みきった俺の敵はどこへ消えたんだ。


俺の敵。俺の敵。俺の敵。


テロリストの敵はどこだ!!!!!!!!!!!!!!


もはや大きすぎて見えないのか。


森の中の木を見分けることもできなくなったのか。


思い出せ、いや思い出したら死ぬのか俺は。


なにもかもが混乱している。


一方ではまともなフリをして、一方では狂人のフリをして、でき上がるのは一体何だというのだ。


ただの中途半端なゴミ屑野郎か。


がんばりたくはない。


そもそもがんばらないで本が読みたい。


だが、もう時間はない。


できることは何もない。


もともとそうなのだ。


生まれつきそうだったのだ。そうとしか思えないしそうであるという確かな確信もある。


何かがしたい人というのは一体、何が脳の中の神経細胞で絡み合っているのだろうか。


「できない」


今年の、俺の生まれてこの方ずっとの、刻み込まれた命題。


「明日」がないままに生きる人間が、これ以上生き続ける意味がどこにあるのか。


敵すらうやむやの曖昧になってしまったこの現状で。


「2012年、どんな年だった?」


クソッタレの年だったよ。