123の日ということで日航123便事故とその影に隠れた事故


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でもこの事件の影に隠れてしまった、とんでもない事故がかつてあったことをつい最近知った。


それがこれ。

全日空機雫石衝突事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%9B%AB%E7%9F%B3%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85


一言でいうと、自衛隊の戦闘機とジャンボジェットが空中で衝突して、乗員乗客がマッハの壁を突き破って地上に叩き付けられ全員死亡したという事件。

岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。

墜落
その直後、双方の機体はともに操縦不能になった。全日空58便についてはしばらく降下しながら飛行していた。のち、水平安定板と昇降舵の機能を喪失していたため、降下姿勢から回復できず速度が急加速し、音速の壁を突破したことにより約15,000ft(約5000m)付近で空中分解し墜落、搭乗していた乗員乗客162名全員が死亡した。その時の音速の壁を突破した際のものと思われる衝撃音が盛岡市内の病院屋上など、墜落地から離れた場所でも確認されている。


衝突直後には大きな白い雲状の物が発生した事実を多くの者が目撃しており、写真撮影した者も複数いた。偶然近くの青森県上空を飛行していた東亜国内航空114便パイロットや、花巻上空を飛行していた全日空61便のパイロットが、58便からの状況を把握できず混乱した通信を傍受していたが、それもすぐに途絶えてしまった[2]。なお、操縦士らは地面に激突して大破した機首の中で発見された。また機体が空中分解したため、事件現場の近傍で働いていたり通行していた者は後年の番組等で「音がして外を見たら、(胡麻)粒のようなものが落ちていた」と語った。乗客たちは安庭小学校のある西安庭地区を中心とした雫石町内の各地に58便の残骸とともに落下し、極めて凄惨な状況で発見された。この際、落下した旅客機の車輪の残骸が民家の屋根を貫通し、当時81歳の住民の女性が負傷した[2]。


墜落の衝撃による火災はなかったため比較的早く犠牲者の身元が判明したが、遺体は高速で地上に叩き付けられため、極めて凄惨な状況を呈していたという[2]。また遺体を検死していた警察が犠牲者のうち1名を取り違えるミスをしたため、身元確認の精度について疑問が持たれることとなった。


なんかもう想像するだにすさまじいというか、なんというか。


ちょうど今、ボーイング787型がバッテリー焼け焦がして緊急事態になってる模様ですが、飛行機事故なんて乗ってる人間回避しようがないもんなあ。


昔、乗ってた飛行機がランディングアプローチに失敗して、再上昇と旋回食らった時は冷や汗かいた。


第一、死に方としてつまらないし、しまらないしな。