無差別テロは無差別であるところにこそ意味がある
アメリカでボストンマラソンの最中に爆弾テロが起きたが、毎度のことながら犠牲者の方々になんら哀悼の意を感じられない。
むしろ、「<当然>の報い」が「無差別」に降りかかっただけのことに何を大騒ぎしているのだろうかと感じる。
もちろん、善悪の此岸に「佇まなければならない」人は、それ相応のふさわしい声明や弔辞を口にしなければならないのだろう。
だが、それがなんだというのだ。
だからなんなんだ。
今の今まで、「普通」を「当たり前のように享受していた」、その事の方がよほど異常ではないのか。
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