「笑い」の政治性について〜虚構新聞と「自称中立」〜

先の書評においてもふれたことだが、「笑う」ことにおいて、政治的に中立などというものは存在しない。

「笑い」とは、価値観の共有を前提とするという点において、常に政治的なものであり、そのベクトルは永遠に続くものである。

今回の虚構新聞の問題は「自称中立」問題に近いものを持っている。

冗談は常に冗談では済まされない。あれが仮にもし選挙期間中にでも当人の目に触れる形で出ていたならば、奴なら烈火のごとく吠えたけり訴訟を起こしただろう。

その時に、『いや〜アレは冗談なんですよ=僕は「自称中立」なんですよ』という言い訳は通用しない。

なぜなら、生まれや立場や容姿や権威やカネといったさまざまの差異=政治性によって、この社会は常に政治的に分断されているからだ。

「お笑い芸人」を見るがいい。あれらの人間を見て普通だと感じるのなら、その芸人は芸人たり得ていない。

政治性を逆手にとってことさら強調し、そして周囲に、世間に「勝つ」=牛耳る=政治的立場を獲得することによってあれらは成り立っている。

「笑い」とは「精神の解放」どころか一種の奴隷制でもあるのだ。同意の強制という意味で。

ヤクザとのつながりを指摘されて消えた大物お笑い芸人がどんな人物だったかを考えてみればわかるだろう。

虚構新聞に限らず、全てのネタサイトやネタブログは、いや全ての人々はこの事を記憶の片隅に止めておくべきだろう。

繰り返して言う、「笑い」という政治の場において「自称中立」は存在し得ない。

いわんや無法地帯の2ちゃんねるをば。

<関連>
『愛とユーモアの社会運動論』【他者性との対話】 - こころ世代のテンノーゲーム
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20120506/p1


虚構新聞デジタル:ニュース特集:検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題
http://kyoko-np.net/special03.html


虚構新聞」騒動 どう見る? (web R25) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120519-00000000-rnijugo-inet


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