エスニック・アイデンティティ・ポリティクス

「ここまで問題が深刻化した」と延々言われ続けてきていることは、「日本社会への同化」に対抗して立てられた「エスニック・アイデンティティ護持」という在日韓国・朝鮮人側の「自前のポリティックス」が、むしろ実効性を持ち続けていることがあきらかになったということを意味しているのではないか。


韓国・朝鮮の信仰を守り、韓国・朝鮮の習俗を堅持し、日本的価値観を峻拒し、植民地主義的収奪の弱者として宗主国の倫理的責任を糾弾し続けて日本社会内部にとげのようにささった「異族」としてあえて告発者の立ち位置を維持するという「告発のポリティクス」。


それは論理的にも整合的である。


そして、「異族」の若者たちはそれによってあまり幸福にはなれなかった、とはいえないのではないか。


幸福ではあるけれども、その信奉者たちをあまり正しいものとしない社会理論というものは存在する。


「告発のポリティクス」はそのような社会理論のひとつである。


そして、この移民集団には強力な政治指導者がおり、自律的な社会制度をもち、民族教育の機会や民族文化の深化発展の場が確保されており、大規模な「民族系マーケット」や「民族系資本」や「民族系ビジネス」のチャンスがあるゆえに、集団的な孤立は彼らの状況をそれほど絶望的なものにはしていない。


日本の在日韓国・朝鮮系移民社会は現在そのような自律的な「国の中の国」を構成している。


(中略)


この人々が移民した先の国に同化することは強制されてはおらず、民族集団として自律的に立ち上がることも禁じられているというわけではない「出口はこちら」といった状況に集団はあり続けている。


これ以上どういう効果的な解決法が必要なのか。


私には想像がつかない。

内田樹の研究室: la nuit violente en Franceより

対話の中で

 そこで、わたしが恐れるのは、あなたに反駁することで、わたしが事柄そのものを目ざして、それが明白になることを狙っているのではなく、あなたという人間を目標にして、議論に勝ちたいばかりにそう言っているのだと、こうあなたが受けとられるのではないかということなのです。だから、わたしとしては、もしあなたという方も、このわたしと同じような人間の一人であるのなら、よろこんで、あなたに最後まで質問をつづけさせてもらいますが、そうでなければ、これでやめることにしたいと思うのです。
 ところで、そういうわたしとは、どんな人間であるかといえば、もし私の言っていることに何か間違いでもあれば、こころよく反駁を受けるし、他方また、ひとの言っていることに何か本当でない点があれば、よろこんで反駁するような、とはいっても、反駁を受けることが、反駁することに比べて、少しも不愉快にはならないような、そういう人間なのです。


ソクラテスゴルギアス』(岩波新書

中島義道『<対話>のない社会』PHP新書032、1997年、p125より孫引き
「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)


こうまでの聖人君子であるとまでは言わないが、少なくともこの言葉に感銘を受ける程度の人間であることは、言っておきたい。