カナリ欲しいけど、高くてためらうもの>お高い本2冊

末木文美士『近代日本と仏教 近代日本の思想・再考Ⅱ』ISBN:4901510258森岡正博無痛文明論ISBN:4901510185

¥3,360 (税込)と、¥3,990 (税込)・・・
ですがさすがは孔明末木先生!!仏教がいかにして日本の精神だと持ち上げられるようになったかというカラクリを、見事に解き明かして見せてくれます。
うろ覚えなりに説明すると、明治期において日本が「近代」(=近代国家)として構築される過程で、現れた技術と精神の矛盾、軋轢。そこで目を付けられたのが、一度、「近代」に相応しくないと、廃仏毀釈などで徹底して否定された仏教であった。そして、一度「近代」に非ずと否定されたからこそ、それを「乗り越える」というスローガンで「ごまかす」ために仏教が持ち出されたのだというのがこのカラクリの全容。
しかし、いまだ続くこの風潮、そしてその尻馬に乗る仏教界を、「陳腐でお粗末」とハッキリ切り捨てるところがまた素晴らしい!!さあ、「東大教授」に切り捨てられて、仏教界はどうするんでしょうかね?「東大」もまた悪しき「近代」の産物だとかいいだしそうですがw
そして、その末木先生と同じ主張をしているのが、上田紀行『がんばれ仏教!』ISBN:4140910046。「仏教を知る」だとか「仏教に教わる」だとか、何だかんだと「仏教」が持ち上げられる昨今、その類書かと思いきや、またもエールと思いきや、その実際の中身には、「仏教」の核を担うと目される僧侶の空疎さを、これまたステキに辛らつにぶった切る批判精神が貫かれています。
もちろん、先の仏教批判は、「いとしもうらめしも同じこと」という伊右衛門の台詞ではありませんが、期待を込めたからこその批判であるという意味でのエールではあるのでしょうが、そのあたりは私も見習わなければなりません。同じ様な趣旨の論文を書いたものとして、社会に生きるものとして、今後の課題、というところ。
その論文ですが、無事掲載と相成りました暁にはその旨はたまた雑誌名を、御案内がてら御報告させていただきますので、詳細についてはしばらく御免。
そして、先のお高い二冊は、どちらもトランスビューという耳慣れない出版社。「なんとかしてよドラえもぉ〜ん!せめて1000円だけでも引いてぇ〜〜」と、ドロンジョ様ボイスで泣き付きたくもなりますが、そもそもこのトランスビュー法蔵館で採算面からお蔵入りになった企画を世に出そうというのがコンセプト。
つまり、…_| ̄|〇<当分どころかずっとこんな感じっすね