イスに座って聴く説教の 右や左に流れ行く

「人生き返る」「自分不死身」 県内小中学生2割が回答
兵庫県内の公立小中学生の約二割が「死んだ人は生き返る」「自分はたぶん死なない」などと考え、ゲームやパソコンに接する時間が長い子どもほどその傾向が強いことが、教員や専門家らでつくる「兵庫・生と死を考える会」の調査で分かった。小学校高学年から中学生にかけて自分を肯定する気持ちが低くなり、自殺などへの共感度が高まることも判明。同会は結果を県教委に提供、同教委は児童、生徒に命の大切さを伝える教育プログラムに生かす。

また、>ゲームやパソコン、ですか。
また、>命の大切さを伝える教育、ですか。
また、机上の空想道徳教育ですか。
そしてその延長線上に、「いいところもあった教育勅語を暗記させろ!」という寝言が来るわけですね?


しかし、

また「自殺はよくないか」との問いでは、「とてもそう思う」と答える割合が、小学五年から中学二年にかけて、80%から60%に減。
 「自分が好きだ」という自己肯定感も、学年が上がるとともに下がり、中学二年では一割を下回った。

これは単に、思春期の「自我の葛藤」と、「死生観の獲得過程における揺らぎ」の表れなのではないのかと。
そうしたいわば人間としての根本的な部分の成長に起因するこのような特徴を、「未熟さ」=「異常さ」として取り上げ、殺菌・消毒・塗り薬まがいの、とってつけたようなうわっつらのキレイゴト=「命の大切さ」を塗りたくったところで、それが何になるのか。
肝心かなめのその「道徳」に、核たる部分がないままに、何度文句を唱えても、空念仏にお題目。
そして、そこでまた「宗教」が、欧米ではキリスト教が倫理の核であるというところから*1、無知蒙昧の老人どもが、「美しい教育勅語」を持ち出すわけだ。「天皇陛下」を神だといって。


結局こういうアンケートは、日本会議を筆頭とする宗教右翼をよろこばせるだけのものにしかなっていない、有害無益なものなんではないだろうか。
年に三万人が自殺するような社会状況を作り出して、10年近くそのままにしている大人たちが、「命の大切さ」を理解しているとは到底いいがたいと思うのですがね。

*1:イスラーム世界でもアッラー(神)が倫理規範の核なんですけど