「若さ」という機能不全――若さ!若さって何だ!?――

25歳で将来への不安!?――男性の「中年危機」が若年化し、「青年危機」に

男性が「中年危機」に陥る年齢は、これまでどんなに若くても40代とみられていたが、新たに発表された調査結果によると、自分への自信のなさや将来への不安といった「中年危機」特有の精神状態は25歳の男性にも見られることが明らかになり、危機を迎える時期が早まっていることが指摘された。

そうか……。
「若者の不安感はクレージーなほど」と、斉藤環のそのタイトルもずばり『「負けた」教の信者たち』にありましたが、NEET先進国*1イギリスでは、やはりこの若者の抱く異常な不安感への社会的な注目も、日本より早かったようです。


そう、
まさに「若さ!若さって何だ!?」という命題こそが今、瓦解しつつあるということです。


一部の人であればこの問いには反射神経でもって答えられるのでしょうが、それはもちろん本気の答えではなく、シニカルさを含んだものであることもまた自覚されていることでしょう。


「振り向かないことさ!!」*2


だが、どうあっても「振り向か」ざるを得ないのが、この今の社会の状況なのではないでしょうか。

調査元では、仕事や余暇、そして夢見ていた生活を実現するためのプレッシャーを抱える男性が多いとし、借金を返済しながらさらによりよい生活を求め続けるという男性の「高望み」が問題の根源と分析。ストレスの少ない、幸せな生活を送るためには、多くの男性がより現実的な目標を受け入れることが必要とアドバイスしている一方で、近年の社会や家庭における男性の役割が大きく変化してきたことをうけ、男性が従うべきモデルを失ってしまったことも、このような懸念や心配を生み出す原因になっているとしている。

これは日本においてもそのまま当てはまります。
さらに日本では、階級社会への下り坂にあるという過渡期的状況から、要不要を超えた勢いで社会の二分割があからさまに意識され、それがまた暗黙の過剰なプレッシャーとして日々の生活を蝕んでいます。


振り向けばそこに落とし穴があり、もはや振り向かなくても見えるまでにそれは大きく見え、そして、いま自分が前を向いているのか後ろを振り向いているのかさえ、わからなくなってしまったというような、袋小路に陥ってしまっている人は、それこそ数え切れないほどなのではないでしょうか。


私もその一人です。


そのような中で、団塊以上の年齢の老人は、若者に対して「無条件の元気さ」を盲目的に求めるという無神経さを発揮しています。
本当に馬鹿だとしか思えません。
彼らの腐った頭には一分の想像力を要する余地もないのでしょう。


そう、思い起こせば彼らこそは、ゲバ棒もって火炎瓶を投げていた次の年には、「まっとうに」就職していた「異常な時代の異常な人間」なのです。


まじめに努力し、まじめに勉強もしたのに、失業せざるを得ない、まじめに悩めば悩むほど、馬鹿な老人どもがさも嬉しそうに腐った精神論を振りかざして、叩きにかかってくる。昼の日中を歩けなくさせてくれやがる。なんとすばらしい!


「こんな時代に誰がしたのか」というその単純な事実認識さえもできないこのわれわれの先行世代とはいったい何なのか!?


……誰がこんな馬鹿を育てたのか?


「若さ」など、そもそも団塊の世代に固有の社会病理だったのではないだろうか?


「若さ」など、精神異常の一種に過ぎなかったのではないのだろうか?


「若さ」など。


「若さ」など!

*1:正確にはイギリスのNEETは、16歳から18歳までの三年間のみをさす言葉だということです。前掲書。

*2:ちなみに、愛とはためらわないこと、です。