分かってないのは誰?

世界の街から <上海> 分かってないのは誰
上海のスナックでの日本人駐在員の男と中国人のホステスとの会話を皮肉った記事。

◆回答例1(記者の立場)
やはり日本人の会社員というのは、総じてビジネスには長けているがほかの話題についてのコミュニケーション能力が乏しいということがよくわかる。特にアジアで勤務する者であるにも関わらず、アジアの人々に対する意識が欠けているのはいかがなものか。その低レベルな会話能力はホステスにさえも笑われる始末、なんとも情けない。(私のようなクールな日本人がもっと増えればいいのだが。)


◆回答例2(駐在員の立場)
何でこんな酒の席でわざわざ政治の話をしなければならないのか。せっかくネクタイを緩めてラクに日本語を話せるに来たというのに。いい加減にしてほしい。その場、その場に応じた会話というものがあるだろう?この中国人という連中はなぜそんなこともわからないのか。空気読めよ。ここはそういう場所だろう?やっぱり女はバカだ。


◆回答例3(ホステスの立場)
まったく「いいお客さん」の相手をするのは疲れるわ。お金だけ払ってさっさと帰ってくれればいいのに。このスケベオヤジども。私は売春婦じゃないの、いちいち触ってこないでほしいわ。もう、どいつもこいつも日本人ってのバカばっかり。そうだ、イヤガラせに政治の話でもしてさっさと追い出そう。日本人はすぐそういう話を嫌がるし、私も小泉は嫌いだしね。お金だけ払ってくれればいいのよ、日本人は。


◆回答例4(umetenの立場)
これこそが「日本的コミュニケーション」のそもそもの限界を示す一つの例である。


「薄く・軽く・明るく」という三原則の下に、表層的な同意を形成することのみを主眼とする旧来型の日本的コミュニケーション――より正確に言うならば、「日本的「世間」において要求される「コミュニケーション能力」というものの正体」――が、日本以外の社会においてまったく通用しないことが端的に表れている。


そして一方、「異なる立場や思考に基づいた意見の交換や議論」を意味する本来のコミュニケーションは、日本的「世間」ではまったく磨かれることがない。それがために、かの駐在員は必死で自分のできる限りの「コミュニケーション」を図ろうとし、同時にホステスの方も、自分の意見をお互いに交換するというコミュニケーションを図ろうとしていた、その結果が、記者の目に見た「すれ違い」であったのだと言えよう。


だがそもそも、この記事を書いた当の記者もスナックにいたのである。ならば、いつもいつも「お堅い」話ばかりをしているわけではあるまい。
――そんな話ができるホステスがそろっている場所は、そもそもスナックではない。


だとすれば、この時は少々、記者の虫の居所がわるかったということなのではあるまいか。事実、この記者がその後ホステスと「疲れない」話をしたとは一言も書かれていない。
――さて、もし、この記者とホステスが<コミュニケーション>している場面を第三者が見たならば、はたしてそれはどのように受け止められたであろうか。




まあ、でもひたすらゴルフと車と「女」の話しかできない会社員なんてのは逝ってよしだね。――パチンコなんて論外。*1

*1:え?オタク話?なにを言っとるんだね、それこそが会話というものじゃないかw