軽く反論

某氏より某日の某所にて、
私の「非モテ」論の方向性と、「文化ナショナリズムスローライフ志向」の類似性が指摘されましたが、
あくまで現実・現在・近代を基点とする私のスタンスと、かの歴史・文化・伝統を諧謔的かつ功利的に利用しようとする姿勢とには、やはり相当の相違があるものであると、言っておきたいと思います。




というか、私の抱くかの氏に対する嫌悪感というのは*1、屈折した嫌悪感であり、ストレートな否定観ではないことも申し添えます。
かの氏が仏教思想を(意図的に)歪め、その結果として慰撫無益な文化仏教に堕さしめているという点、それがまた、仏教の思想性の回復を阻害しているという点、そして、その文化仏教として変形した思想を、本家本元であるはずの教団の総本山が「ありがたがっている」という状況。
それらのことについて、私は怒りを覚えているのです。




ただ、今の「非モテ論議とかつての「だめ連」的主張が、方向性を通じるものなのではないかという指摘は、今後十分検討するべきであると思います。
ネット主体と書籍主体という、「時代のすれ違い」がここにあるということは、憶えておかないと恐ろしいスピードで流れさってしまいそうなので、ここに記しておきます。

*1:「kanose氏に対する」じゃないですよ念のため