この国の不毛な権威主義の食物連鎖〜to sociologic〜

確かに、上記の文脈*1にのみ限定するなら、企業樹形図の上流と下流の支配関係になるのでしょうけれども、


このところ読んでいる「ビジネスコミュニケーション」関連の書籍で意を同じくしているのが、
「上司はまともに話ができない」=「年長の人間ほどコミュニケーション能力がない」=「年下がそれに不満を持つこと自体が非生産的」=「年下のほうが上司に合わせるべきである」=「年経たというだけで発生する「権威」に従おう」=「従うことこそが若者の成長の証なのだ」
と、いったような、まさに「不毛な権威主義食物連鎖」なわけで、
そこには下に向かって強制される「成長と発展」とは裏腹に、オヤジ・ジジイ世代に対する「成長への免罪」が、色濃く現れており、あらゆる実務的指摘が、「口の利き方」などという感情論的な「敬意」の問題にスリ替えられて、ごまかされ押しつぶされるのです。


このような「処世術」を学んだ人間がどのような人間に「成長」するのか、などというのはもはや口にするだに汚らわしいものです。


「上司は選べない」といいますが、「部下は選べる」のが現状です。
事実はっきりこういう台詞を耳にもしました。


「この年になるとな、自分の嫌いな人間とは仕事しなくてもよくなるんや。」


下に頭が上がらない構造なんてものは存在しません。


たとえ「上部構造のものが下部構造につぶされた」と見えたとして、それは、「まわりの上部構造が同列つぶしに加担した」からであり、決して上部構造が下部構造に対して、「敬意」を払ったなどということではありません。


マスコミという第三者気取りの上部構造が、下部構造中のさらに下位の者を叩き潰すのに血道をあげていることも無関係ではありません。

*1:引用箇所