「非国民」に対する歴史的反応と現代的反応

作文書いたんだけど、これじゃ先生に叱られるかな - 「不快」化する社会、不快感を忌避する社会


確かに、「なにそれ?」で終わってるよね。
普通にニュースを聞いただけの反応ってのは。
それ以上の思考がめぐらされてない。
まさに「ご臨終メディア」と「自分で考えない視聴者」の構図だ。


でも、その「なにそれ?」の中には大別にして二種類の質があると思う。


まず、戦時中の「非国民」というレッテルに忌避感を覚えるベタレベルの反応。
そして、「非国民」という言葉が再び安易に出てくるようになった時代感覚に対する反応。


歴史的反応と現代的反応というところだろうか?


しかし、いずれの反応にしても、その事象が属する文脈を無視した脊髄反射的なものであるという意味では同じものだ。


「なんかキモチワルイ」。


その「なんか」の中身を問うことなしに、その不快感だけが突出している、突出することが許されているという点に対するリンク先の指摘は実に鋭い。


また別角度からも、このニュースは双方向的に「支持」される。
右翼方向からは、「非国民」概念叩きに興じる「マスコミの愚かさ」を通じて、
左翼方向からは、「非国民」概念の社会的再配布に対する危機感を通じて。


左右どちらにせよ、「文脈」を意図的に外してフレーミングし、教義に応じた祭祀的に奉り上げているという点で、その「支持」のスタンスは間違っているのだが、
重要なのは、とかく不快感を支える構造だけは強固に組み上げられているということだ。


その「不快感」の根源が、一面的な「わかりやすさ」をのみ妄信する「ご臨終メディア」だ。


そろそろ報道というものの質、それを形作る構造を再編成する必要があるのでは?


現場で情報収集に当たる取材部署と、第三者的スタンスでそれを批判的検討する編集部署といったような。