粋なジョークは諸刃の剣
元の記事では、女性が ジョークによって 男性の頭のよさを見極めているのではないかとも書かれていました。
以下は感想。
ジョークが通じるってことは、文化的に近いコミュニティに属しているとか、ライフスタイルや価値観が近いということの確認の意味合いが有るのかもしれませんね。
BOX HEAD ROOM: 【ネイチャー】笑わせてくれる男&笑う女がモテる (アメリカ/カナダ)
前段の「頭のよさの見極め」よりも、後段の感想の「文化的価値観の確認」の方によりポイントがあると感じた。
もともとジョークというのは、文脈=コンテクストの落差によって成り立つものである。
「軸となる言葉=概念」と「転倒した言葉=概念」との組み合わせに対する反応を、笑いという瞬間的反応として引き出すのがジョーク=ネタである。
しかし、相手に応じて発句としての「軸」と返しとしての「転倒」を変化させることは、実に膨大な予備知識、あるいは観察力と記憶力、そして編集力、さらに臨機応変な瞬発力を要する。
故に、それを高度専門化した存在としてのお笑い芸人という職業が成り立つのである。
そして同時に「女子中高生受けする若手お笑い芸人がまったく面白くない」という原因もここに由来している。
そうしたヘタな芸人は――キングコングやロザンやシャンプーハットや……などという具体名はあえて挙げないが*1――あまりに反応の沸点が低い*2、また知識や経験の少ない観客にのみ特化してしまったがために、それ以外の観客の沸点=知識量や反応速度を完全に見失っているのである。
つまり、このジョークの問題は、その相手にとっての軸と転倒の見極めにこそある。
ジョークが相手に受けるためには、まず相手の「軸」がどこにあるかを知らなければならない。
そして、「転倒」は、相手の予想を裏切り、なおかつ相手の気を害さないものでなければならない。
これは、ジョークが、男女間における相手の好意を引くためのツールとしては、かなりリスクの高いものであることを示している。
少なくとも知り合ってすぐ、お互いがほとんど何も知らない同士の時点でジョークを使って気を引こうとするのは、やめておいた方が無難だろう。
まず、ジョークが成立するための「軸」となる価値観が、相手の胸の内でいかなるものであるのかを考えなければならない。
そして、たとえその「軸」がある程度見えたとしても、さらにハードルが高いのが「転倒」である。
「軸」となる、相手の知識や価値観から外れたもの、つまり相手の基本的価値観、基本的世界観の以外のところにあるものを選ばなければならない。
しかも、問題は「好意を引く」ためには、単に異なる価値観、世界観を接続すればいいという、それだけではすまない。
相手の立場や現在の状況や過去の体験などから導かれる、被害的価値観、否定的価値観、同情的価値観、共感的価値観をも視野に入れなければならないのだ。
たとえ、「軸」を共有できたとしても、この「転倒」において「地雷を踏む」ことは、期待されたものとはまったく逆の反射的反応を生む。
そう、その見極めを失った瞬間、笑いは一瞬にして怒りに変化する。
単なる「知識量の確認」ではなく、「価値観の確認」でもなく、「相手の人格全体への配慮」を暗に含むからこそ、ジョークは好意を引くための有効なツールとなるのだ。
だがもし、「失敗したな」と思ったときには、すかさずこう言うのも一つの手だろう。
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを……」
もちろん、素人*3にはお勧めできない。