「病理概念そのものの脱病理化」

via:macska dot org » Blog Archive » 「インターセックス」から「性分化・発達障害」へ

「異常とされた身体」に対するこうした医療は、多くの場合現実に本人及び周囲の生活をより円滑にするのだから、安易に否定されるべきではない。しかし同時に、それらを要請するような社会制度や、障害のある身体を改造することで社会に適応させ、同時に社会制度上のバイアスを温存する医学的パラダイムに対する批判も必要だ。過去に同性愛者とされた人たちに対して行われた非人道的な「医療行為」とその他の「社会的苦痛を解消する」医療とのあいだには、はっきりとした境界はないのだから。

「障害」という言葉が持つネガティヴな印象については、逆に「障害」であるからこそ障害者運動や障害理論に繋がることができるのだ、とポジティヴに捉えてみたい。それに、「医療化」に伴うさまざな問題を解決するには、インターセックスを「脱医療化」することでなく、医療そのものを変革する方が良いとわたしは思っているし。

同様の論争は「性同一性障害」についてもあるのだけれど、「〜障害」という用語はスティグマの原因となるので脱病理化すべきであるという論理にわたしは賛成しない。いかなる障害・疾患カテゴリも、医療サービスへの需要を把握し効率的にそれを提供する目的においてのみ正当化されるものだとわたしは思うので、性同一性障害にせよインターセックスにせよ何らかの医療サービスを必要とする当事者が存在するならそうしたカテゴリがあってもおかしくないと思う。必要なのは、いくつかの障害・疾患カテゴリを脱病理化することではなく、病理概念そのものの脱病理化だ。もちろんそのためには、やはり「正常/異常」のコードで作動する医学的パラダイムを根こそぎひっくり返す必要があり、それを考え出すと変革が絶望的に見えてこないでもない。