最小表現コストと「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」


ちょっとだけ帰ってきた過下郎日記 - 「甘え」をめぐる(不毛な)議論


「甘え」論議については、id:hazama-hazamaid:crowserpentに同意することひとしきりなので、そこから派生した別の問題に少しだけ触れる。


これである。

<コメント欄>


>ラジオ氏
あんたの言っていることが一番つまらん。


議論の流れの中にあってまったく異質な粗暴な表現ではある。
しかし、粗雑な口語表現というのはコミュニケーションを交わす上での最小表現コストなのである。
そしてまた、それには当人ごとにそれぞれ「最適化」された形態というものがある。
それゆえ、コミュニケーション表現にはそれぞれの「個性」というものが発生することとなる。


その「粗雑さ」=「個性」というものは、感情的なものになることも、情緒的なものになることも、乱暴なものになることも、丁寧なものになることもある。
より文字表現に即して言うならば、口語にもなり、文語にもなり、ギャル文字にもなり、2ch語にもなるということである。


それらの「個性的」=「粗雑」な表現を頭の中で整理分類し、自分にとって必要な情報を取り出すことがコミュニケーション能力の一端というわけである。


とはいえ、そこはひとつ大きな問題が含まれている。
「自分にとっての最小表現コストは、すなわち相手にとっての最大解析コストとなる」ということである。
自分にのみ「最適化」された最小表現の押し付けは、すなわち相手に対するコミュニケーションコストの押し付けと同じことになるのである。


これはどんな場面においても同じで、例えばそのコスト負担の差異が最大になる典型的な場面には、叱責や罵倒といった怒りが挙げられる。
ここに生まれるすさまじい摩擦係数は必然的に猛烈なストレスとなり、コミュニケーションの「枠」そのものを破壊することもしばしばである。


その「枠」が破壊されなかった場合は、一方がコストを過分に負担しているということになる。
また、そのコスト負担が両者の上下の権力関係によって配分されていた場合は、下位にあるものはコストと同時にストレスをも自己負担させられることになり、二重の負担を強いられる形となる。


上位にあるものがその負担構造に気づかず、そのコミュニケーションコストの丸投げ、押し付けを当然視していった時は、これより、暗黙の内にコミュニケーションの「枠」が破壊されることになる。
つまり、コミュニケーションコストの不均等によって「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」が、生まれているということである。


「相手がわからない言葉で話す」というのは、当人が払うコミュニケーションコストにおいては最も「最適化」された最もコストの小さい行為となるが、同時に、「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」を行うことになるのである。


相手がそのコストを負担する理由がなかった場合、相手にそのコストを負担させることができなかった場合、相手がそのコストを負担することに納得できなかった場合――、自分がコストを負担しないことは、結果的に、コミュニケーションの「枠」そのものを破壊するということにつながるのである。


おわかりのように、この「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」は、先の例えのような上下関係に限るものではなく、ほぼあらゆる場面において発生している。


そしてもちろん、そのコストを計算できないというのもまたひとつの「最適化」の姿ではある。
相手のコストを考えないでいい、という最適化の姿も確かに存在する。
自らの「最適化」がその空間に適したものとなっていた場合には、なおのことそれが最高のコストパフォーマンスを生み出すことになる。
タメ口の世界ではタメ口が、敬語の世界では敬語が、ギャルの世界ではギャル語が、2chでは2ch語が、右翼の世界では右翼語が、左翼の世界では左翼語が、モヒカン族の世界ではモヒカン語が……(以下いくらでも続く)


だが、それらはあくまで特定の空間に「最適化」したコミュニケーションの「枠」なのであり、「間空間的に算出される平均的な最適化コスト」からは外れたものとなることが多いのはもちろんである。


最も個性に左右される感情的表現を排して「丁寧な」表現を求められるのは、何もWEB上に限ったことではなく、それこそ「間空間的」な社会一般で必要な能力として求められている。


それが、平均的なコスト負担によってコミュニケーションの「枠」を維持するための「最適化」の結果なのである。




冒頭の引用に戻れば、
ハザマさんは、コミュニケーションのオーバースキルをもっているオーバーマン非モテなので、それを持たないシルエットマシン非モテたる人にはわかりにくい表現でもわかってしまうのに対して、わからない場合を考えてコスト負担を促したid:rAdioさんの発言は、ハザマさんにとって必要なものではなく、そして、その必要性のなさを最小表現コストで現すと「つまらん」ということになったのでしょう。




余談になるが、「冗談だよ」「ジョークだよ」「ネタだよ」という言葉を多用する人間は、その一言で相手にコストを押し付けているにほかならず、自らコミュニケーションの「不誠実さ」を暴露していると考えた方がいいだろう。