衝撃!ミソジ文は実在した!!

 いつも考えることがあります。どうしてこんなに忙しいのだろうと。生きていくということ自体が、なんだか予想を超えてやっかいなのです。昔に比べて今の女性は、やることが多い。仕事というものがまず、孤独なまでに時間との戦いです。それに加えて、生活にも手をぬきたくない。掃除、選択、料理、さまざまな家事を(できればクリエイティブに)こなしながら、パートナーや友人との時間も大切にしたい。自分の時間も大切。ギャラリーへ行きたい。勉強もしたい。おしゃれでありたい。チャーミングでありたい。プリティでありたい。あぁ神様、私だけ一日を48時間にしてください!


『エル・デコ No.90』より


2ch(およびコピペブログ)などではミソジニー的な空想作文をよく見かけますが、まるでその粋を集めたかような作文に出くわしてしまいました。
「わかったから、[死ねばいいのに]」という脊髄反射のアレルギー反応を抑えつつ、このソープポエムを2007年度にフルテンションで繰り出してきたという事実にある種の敬意を表し、ここ=グーグルキャッシュサーバに永久保存したいと思います。


すみから隅まで余すところなくネタで敷き詰められたこの短い文章は、およそ素人の書き込みの及ぶレベルではない、まさに高高度の完成度を誇っているといっても過言ではないでしょう。


参考までにそのハイレベルなポイントをいくつか指摘してみましょう。


まずは、この「(できればクリエイティブに)」という部分。
「クリエイティブ」という思わず口にしがちな陳腐化した単語に「できれば」という留保をつけることで、「あえて書いている」という希少感をもたせ、さらにそれ自体をカッコに入れることで地の文にさりげなく含ませることを可能にしつつ、もともとの「クリエイティブ」という単語の響きの輝きを取り戻す効果を発揮しています。
ここにはまさに策師孔明も舌を巻く二重三重の姦計が張り巡らされているのです。


そして、「おしゃれでありたい。チャーミングでありたい。プリティでありたい。」という部分。
ここでは、同じ内容の言葉を形を変えて三度も繰り返すことで、年齢から来る焦り、どうしようもない切迫感、自分自身に対する憤りという、別の感情を裏に忍ばせることに成功しています。
一見、明るく華やかな単語を明るく華やかな文脈で書き立てつつ、同時にまったく反対の意味をも表現してしまうとは、まさに亀の甲より年の功、脳のシワより目尻のシワとでも言うべき恐るべきテクニックだと言えるでしょう。


さらにとどめが、「あぁ神様、」です。
いまのいまどき「あぁ神様、」です。
しかも、二つ目の「あ」はご丁寧に小文字の「ぁ」になっているのです。
黄金のレトロフーチャー80年代への宇宙規模の羨望がこの「ぁ」一文字に凝縮され、そう、今まさに爆発せんというスーパーべジータもビックリのビッグバンアタックな消費至上主義的欲望がここに絶対肯定されているのです!!






わかったから、[死ねばいいのに]






ちなみに「ミソジ文」というのは、「ミソジニー的な文脈で書かれた『三十路の女性が書きそうな文章』のこと」を言います。
さらにこれが31文字にまとめられた場合には、「ミソヒト文字」と言います。


ここ来年の現代用語の基礎知識テストに出ますので、覚えておいてください。