著作権法の非親告罪化は「和製サブマリン特許」

煩悩是道場 - 著作権法非親告罪化は同人誌を殺すのか
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070522/1179832946


つらつと論点を眺めていてふとそう思った。
これは根本的な改変そのものを悪とみなし、いかに現状を維持するかに腐心する日本の官僚が、グローバル経済における日本国の知財戦略として、その小手先の小ざかしい詭弁的思考の粋を集めてひねり出した、解釈論的法改正なのではないか。


そのこころが、「和製サブマリン特許」だ。


もともとの「サブマリン特許」というのは、いわゆるアメリカの特許制度の代名詞のようなものである。
簡単に言えば、特許を申請して認められるとその申告をした時点にさかのぼって著作権が認められるというものだ。
つまり、二つの会社が同じような製品を既に発売していたとして、一方の会社がそれに関する特許を発売前に取得していたとすると、それが認められた時点で、申請時点から現在に至るまでの期間の著作権違反の反則金を相手の会社に支払わせることができるということだ。

<参考>
ITmedia News:「iPodがZenの特許侵害」――CreativeがAppleを提訴
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0605/16/news016.html


AppleとCreative、「ZEN特許」訴訟で和解
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060824/zenipod.htm


また、ドクター中松が「フロッピーディスクを発明した」ことになっているのも、このアメリカの特許制度=「サブマリン特許」のおかげである。
ドクター中松は、実は「フロッピーそのもの」を発明したわけではなく、「フロッピーに似た理論」を特許として申請していた(だけな)のだった。
しかし、そのアメリカの特許制度下では、後に莫大な負債となりかねない訴訟対策として、「疑わしきには権利=解決金を」というわけで、類似する特許には広く著作権が事後的に、あるいは事前にばら撒かれるということが起こる。
だから、ドクター中松は確かに「フロッピーディスクを発明した」ことになっているわけなのである。


これに対して日本の特許制度では、申請後、著作権として認められた時点から、著作権が効力を発揮するというものになっている。
これが一部の(?)日本企業からもうずっと批判されている点で、なぜかというと、実は申請した時点で「このような内容の特許が申請されましたよ」と、特許の内容が世間に公表されてしまうのである。
すると、その特許の著作権が法的な効果を持つのはあくまで、申請が認められて以後のことになるので、つまり、特許を認められるまでの間にいわば「著作権の空白期間」が生まれ……
ここに歩行者天国ならぬ、パクリ天国が誕生するのである。
要するに、ライバル企業は莫大な開発資金をまったくかけずして他社の新技術を習得でき、相手が著作権を認められたその後で「顔で泣いて心で笑って」開発資金代わりに著作権を支払うだけで済んでしまう、ということである。


しかし、これももちろん既に教科書的な知識=常識であるため、これを避けるために、世界各国で同時多発的に特許を申請し、グローバルな法律の網の絡め手で特許=著作権を守ることが日本の著作権の現状、となっている。


さて、そこで打ち出されたのが今回の「著作権罰則の非親告罪化」だ。


竹熊健太郎氏は、次のように異議を唱えている。

それが「非親告罪」ということになると、警察・司法が独自の判断で著作権侵害とみなした行為者を逮捕することができることになり、商業的な出版・放送・上演・演奏のみならず、コミケの二次創作・パロディ同人誌などにも深刻なダメージが加わる可能性があります。


たけくまメモ : 【著作権】とんでもない法案が審議されている
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b72f.html


ところが、おそらくは「可能性があります」ではなくて、そもそも今回の「著作権罰則の非親告罪化」というは「そういうつもり」なのだ。


先にも言ったように、「サブマリン特許」とはその特性として極めて広範囲に著作権をバラ撒く必要をもたらすものである。
「疑わしきには権利を」というわけで、申請時点のタッチの差の写真判定に収まっている「著作権者」には、すべて解決金が支払われるようになっている。
また逆に、そのタッチの差を堂々と主張して、後発企業が得た利益を自分のものとして確実に手にすることができるようにもなっている。
それが、「開発者の意欲」にもなっている、とされる。


対して、日本の著作権申請―認定制度は「盗まれ放題」が前提で、いくら後で反則金を得ることができるとはいえ、著作権が認められるまでの「空白期間の利益」は横取りされたままとなる。
それが、「開発者の無気力」につながっている、とされる。


これを解決するための解釈論的法改正が「著作権罰則の非親告罪化」なのだろう。
「解釈論的」というのは、そもそもの問題の核であるはずの「申請―認定」期間のタイムラグを是正するような根本的な著作権法の改正ではないからである。
つまり、制度的欠陥をいわば温存したままで、即ち役所=官僚の怠慢・不作為な部分に意図的に目を反らし、著作権権利者の「権利意識」の方を「いじる」あるいは「くすぐる」ことで、その「不満」を解消しようとするのが今回の改正の目的なのではないだろうか。


それを一言で言おうとしたのが、「和製サブマリン特許」だ。


そもそも「申請―認定」期間のタイムラグを是正するような改正でない以上、改正された著作権法は厳密に言って「サブマリン特許」にはならないものである。
しかし、「親告罪」だとして著作権利者が見つけられなければ著作権違反とならなかったものを、「非親告罪化」し、「著作権利者以外の何者か」が企業の利益、権利者の利益を守るためと称して、「著作権違反だと疑われるもの」を事後的に摘発していくことが可能になれば、これは「擬似的サブマリン特許」としての効果を発揮することになる。


根本的な制度改革ではなく、小手先の改正だけで「サブマリン特許」の利点だけを、「うまい具合」に取ってつけるというのは、実に日本的政治風土にありがちなやり口で、だからこその「和製サブマリン特許」なのである。


著作権利者以外の何者か」は、これから実に「いい商売」ができることだろう。


ululunさんはこう反対している。

著作権罰則の非親告罪化には反対。
何故なら適用される範囲が曖昧すぎる。
オリジナルの商品をコピーしただけの物にしか今回の法律が適用されないのなら、そう明記して欲しい。「海賊行為が巧妙化」とか書かれると海賊行為という範囲を拡大解釈しようとしているのでは、という疑惑に繋がりかねなくて、今回の竹熊先生のような懸念も出たりするのではないでしょうか。


しかしそれこそが、非親告罪化の目的なのだ。


「悪」とは常に「正義」が名指すことで「悪」となる。


「適用される範囲を曖昧にしておくこと」で、初めてその効果が発揮されるのだ。


夜の高速道路に仕掛けられたピアノ線のごとく、ライダーが気がついたら首が落ちていたという風にすることがそもそもの目的なのだ。


持てる者がますます持つために、持たざる者をつまづかせるために。