コピー機の思い出

実は、大学に入るまでコピー機というものを使ったことがありませんでした。
しかし、大学に入ると何かとコピー、コピーというものが、要所、要所にというレベルを超えてまるで空気のようにそこにあるべき欠くべからざるものとして、突如海面に顔出す海坊主(正体はシャチの蜃気楼*1)のようにあらわれてくるのです。
そこで最初に出会った難関というのは、まずコピー機というものが一体世の中のどこにあるのかということでした。
まるで記憶の構造計算から鉄筋が抜かれたように、いらないときには目の端を不快に横切るノイズのように振舞いながら、しかして必要になったとたんにその正確な所在があいまいかつ使えない情報になるというこの困難。
その当時は、まだコピー機がないコンビニというものも実在し、なおかついまいち学生街的な性格を大学周辺地域が持っていなかったため、すぐに5人〜10人の行列ができるコピー機を2台「も」設置している白石さんのいない大学生協に希望を失ったものとしては、切実な問題となったのでありました。
さて、その難問を何となくクリアしたあとが大問題です。
いまでこそ、他人の携帯を取説*2なしで操作して、ものの数分で個人情報にたどり着くことができるほど、この機械化文明に適応した人間になったわけですが、当時の私はWIN3.1をあろうことかMS-DOSで使おうとして3時間で挫折し、その後WIN97が登場するまでまともにパソコンというものを理解できなかったほどの、どう贔屓目に見ても明らかに誤った判断をするような非地上デジタルな人間であったため、コピー機などという正直使ったことのない機械の塊を突然目の前に押し出されても一体なんのスイッチがどこにあるのかわからず、出会っていきなり3分以内に側面のメイン動力を落としてみたりもしたものでした。
「緑は進め」という記憶もむなしく、スタートボタンがピンク色だったり、ボタンが物理的装置ではなく、タッチパネルになんかなっていたりしたりしていたという不思議体験アンビリーバボー*3を幾多も経験してようやく一人前に使えるようになったところでやったことといえば……
縮小コピーを最大限に活用したカンニングペーパー作りでした。
ちなみに、そのカンニングペーパーは設計規格外の5倍以上のエネルギーゲインを保有していたことがあり、ついうっかり外国語のテストでクラス一位を取ってしまったこともありました。
文明開化というものの功罪がいかなるものか、身をもって体験したというわけです。
「昔は良かった」といわれるような懐古的、もとい回帰的な教育改革をより強固なものにするためには、やはりまずこの世からコピー機というものを絶滅させることが何にまして肝要なのではないでしょうか。




オチなんかないよ。

*1:夢も妄想もない発言

*2:取扱説明書の略。ちなみに、サントラとはサウンドトラックの略。また、サウンドトラックというのは映画とかドラマとかのBGMや主題歌を収録した12センチ版のCDのこと。

*3:このネタももう風化しつつあるなあ…あとFA(ファイナルアンサー)も賞味期限切れかなぁ、とかなんとか