∀の去勢・トミノ御大の去勢

トミノ御大といえばそのメッセージの性的なこと北方謙三をしのぐものであることは、当然日本国民であれば周知徹底熟知しているはずのところであると思うが、一例を挙げれば「最近のアニメはオマ○コをなめたいと思うキャラがいない」であり、「男はレイプをするほうが自然」などであり、ああこのあけすけさが「国民的アニメ」になれないゆえんなのだなとか、この辺をとにかく隠蔽して少女の純粋さを前面に出すと「宮崎アニメ」ができるのだなとかいろいろなことがわかるわけだが、



さて、あの∀の結末に見られる墓守のような非性的な情景というのはいったいなんだったのだろうか?



もし、ドロドロのグチャグチャの性的な世界がトミノ世界のメッセージであるというなら、生ける死人たるディアナなどあっさり見送って、政治支配欲に目覚めたキエルなき後のハイム家当主、家土地財産つきのソシエお嬢様とよろしくやるというのがロランが取るべき行動だったはずだ。



さらにいえば、リーンの翼においても、明らかにトミノの化身たるサコミズ王が老人の怨念のいかなるものかを視聴者に見せ付けている内に、適当にカップリングされたどう見ても適当に投げやりにくっつけられたとしか思えない鈴木君とリュクス姫がイチャついていたことはいたのだが、さあこれから楽しいセックスライフが始まるよーといういざ話が終わる段にあたって、リュクス姫=竜宮の姫=乙姫はあっさりバイストンウェル=あの世へ消え去ってしまう。



これもまたトミノ世界に反した極めて非性的なメッセージとなっていることは確かである。



どうもブレンパワードを境にして、トミノ世界というは決定的に去勢されてしまっているのではないだろうか?



それはある意味で、富野アニメの「国民化」の下地となるものでもあろうが、また同時に作品として鑑賞されるための完成度=解釈の幅広さを獲得したものでもあるのだろうが、しかし、これはやはり富野アニメが本来のキモであったはずの「しつけの悪さ」を取り払った「行儀の良さ」に収まりつつあるということではないだろうか?



とはいえ、キングゲイナーのラストでは、ゲイナーは堂々とサラとシンシアの二股(場合によっては三股以上)を成功させていたわけであり、あながち萎えきったというわけでもなさそうでもある。



トミノ御大が今どんな作品を作ろうとしているのか、寡聞にして知らない。