M-1は成功しているか?――M-1グランプリ2007感想

<全体的な感想>


優勝したのはサンドイッチマンサンドウィッチマンか、そこが問題だ。
見終った感想を一言で言うと、
脊髄反射的なバラエティ番組しか「あがり」先がない中で、また使いにくそうなコンビが優勝したもんだなぁ、といったところ。
なんというか、いくら「大御所」好みの「実力派」が選ばれたところで、現実的にはバラエティ的な反射神経をもち、なおかつアイドル的なルックスやいじられ(いじめられ)役にふさわしい若さが要求されるわけで。
そういう意味では、はたしてM-1グランプリという番組はその意図の下において「成功」しているといえるのだろうか。
興行的な収益性・広告性はさておいた部分で、の話。
中川家にしろ、ブラックマヨネーズにしろ、下手に自ら「正統派」にこだわったり「漫才」にこだわったりすると、バラエティ寡占状態のお笑い番組の枠の中ではそのポジションが得られにくく、結果的に優勝したところでその「騒ぎ」が収まった頃にはテレビでの露出が減ることになり、テレビ露出を基準とした「人気」は低下していくことになる。
逆に、アンタッチャブルチュートリアルの場合は、もはや漫才師からほぼ「バラエティ芸人」になったと見える。
ますだおかだフットボールアワーは微妙なところ。
要するにまとめると、通好みではないが「キャラクター漫才」がもっとも「売れる」漫才で、「コント漫才」が「本格的」でなおかつ「売れる」漫才の限界で、「しゃべくり漫才」は「なつかしの古典芸能」という枠にはめられてしまう漫才、ということか。






まぁあと、髭男爵はがんばったと思うw*1



<ちょうどいいとこにテレビ屋的意見があったので参考にすると>

フジテレビWEB編集長がブログで「M―1批判してきた」 - Ameba News [アメーバニュース]
http://news.ameba.jp/weblog/2007/12/9602.html


出来レース化」や「優勝は「麒麟」か「オリラジ」のどちらかに決まっている」という発言がある辺り、ある意味興味深い。
事実がどうかは別にして、テレビ屋的目線で見ればそう見える、という点において。
特に、「麒麟」か「オリラジ」というところがポイントだ。



出来レース化」については、第一回から陰を引いた問題となっている「審査員の温情」というものがあり、これへの批判は別にテレビ屋的目線を必要とはしないだろう。
「10年間がんばってきた若手に対する殊勲賞・技能賞・敢闘賞をまとめて与える」とでもいうような「雰囲気」(まさに「空気」!)が、逃れようもなくこのM-1という企画には伏流水のように存在していることは、第一回から明らかだ。
中川家ますだおかだは、この「雰囲気」=「空気」によって優勝した点がまったくなかったとはいえない。
また、ますだおかだについては、「事務所間のつきあい・兼ね合い」や「興行上の手打ち」といった側面があったことも、審査員である松本仁志自身が述べていたところである。
曰く、「本物の漫才師を発掘する番組」というより、「吉本の吉本による吉本のための一テレビ番組に過ぎないのではないか」という指摘は、参加芸人の口からも聞かれるほど、一般化したものとなっている。*2
それへの「配慮」として優勝できた点が、まぎれもなく、ますだおかだにはあった。
いまだに笑い飯が優勝できないのは、「ブレイク」寸前の最盛期の彼らがこの「温情」に押し流されてしまったという一点に尽きる。
運がないとはこのことだ。



とはいえ、上記URLのテレビ屋的目線で面白いのは、今までも散々ささやかれているその「出来レース」という興行的「空気」についての言及ではなく、繰り返しになるが『「麒麟」か「オリラジ」のどちらかに決まっている』という点である。*3
なぜか。
そこには、視聴率=視聴者=客の目線を感じ取ることに特化した神経があると思えるからだ。
それはよくいえば「客商売の論理」というものになるが、「客に媚びた姿勢」だとも、またあしざまにいえば「客を馬鹿にした姿勢」だともいえるものだ。
いくらスイーツ(笑)嫌いのライフハック(笑)*4が否定したところで、なるほど確かにテレビ的、すなわちキャラクター的人気でいえば、今年のM-1参加者の中で抜群の知名度と人気、そしてネタの手堅さを持っているのは、この二組だろうからだ。
知名度と人気について補足すれば、決勝メンバー中のキングコングについては、彼らは漫才師としては「終わって」いたし、笑い飯についてはバラエティ的な露出=人気が足りず、また旬=インパクトを逃しているという点で、麒麟オリエンタルラジオの二組よりは「劣って」いるといえるだろう。
さて、ここまでいえばもうお分かりだと思うが、この知名度と人気というものがいかにテレビ露出に左右されているものかという点こそが、テレビ屋発言の「おもしろい」ところなのだ。



その二組が予選落ちしたことで予想は外れたとしながらも、「敗者復活」があるあたり「興行的な筋書き」は切れていないとするその指摘は、終始、テレビ露出がすなわち知名度と人気であり、そしてそれこそが「評価」であると自明視している。
「客の人気」こそが「評価」だとするその発言は、「テレビ屋の論理でいくらでも客を操作できる」という自負と事実が言わしめている。
そして、その目線は、その「評価」が予選までにしか通用しないことを全く見逃している。
そう、M-1決勝は、終始「客」の論理で判断するテレビ屋ではなく、「大御所漫才師」が審査するのである。*5
だからこそ、決勝の場に「なぜ選ばれたのかわからない」というレベルの参加者が毎回毎回引きも切らないのだ。
そして、なぜ毎度毎度、敗者復活組が活躍する*6のかといえば、それは準決勝審査でテレビ屋的論理が頭に描いた空想の客ではなく、敗者復活戦会場にいる「本物の生の客」が選ぶという点にこそある。
「客受けするだろう」「客受けするはず」と実際に「客に受けた」との違いは文字通り、天と地以上の開きがある。
そして、決勝の場においては、会場の客が実際に「受けて」いる「空気」を感じれば、一定のレベルをクリアしている限り、審査員も多少「甘い」評価をする(してしまう)可能性だってあるわけだ。
おそらくこの点が、サンドウィッチマンを、かつてはアンタッチャブルを優勝へと導いた原因なのだと思う。



そして、この『「客」と審査員のねじれ』現象こそが、M-1決勝を低レベル化させている原因だということも明らかだろう。
とはいえ、逆にそれがなければ、お正月のお笑い特番と変わらない「お年寄りにも安心な手固い漫才」しか見られないことにもなろうし、その兼ね合いというのがやはり「興行」というものの難しいところなのだろう。



<個別のネタ感想などはあとで追記・・・のつもり>


M-1グランプリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/M-1%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA#.E4.BA.88.E9.81.B8.E3.81.A7.E8.A9.B1.E9.A1.8C.E3.82.92.E9.9B.86.E3.82.81.E3.81.9F.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.83.93
↑更新早杉ワロタ↑


M−1グランプリサンドウィッチマンが優勝 敗者復活から栄冠(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071223-00000011-maiall-ent


7代目M-1王者はサンドウィッチマン! 史上初の敗者復活からの逆転劇(オリコン) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071223-00000005-oric-ent


M−1グランプリサンドウィッチマンが優勝 敗者復活で(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071223-00000069-mai-soci


若手漫才日本一「M―1グランプリ」にサンドウィッチマン(読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071223-00000413-yom-ent

*1:ってこれも「キャラクター漫才」だからなぁ・・・・・・

*2:確か、東京ダイナマイトだったか。

*3:どうでもいいけどコメント引用時の符丁が「」を『』でくくるってのは不恰好で嫌なんだけど、ほかの方法ってのはないもんかね

*4:ネットユーザー

*5:参考:M1の準決勝の審査はだれが決めているのですか? アジアン、ノンスタイル麒麟... - Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413799304

*6:してないのもいるけど