2008年のお年玉で買うべき本10冊――テロリストのために

あけまして、おめでとうございます。
お正月といえば、お年玉。
アルファブロガーといったら、id:dankogaiid:finalvent
「搾取する立場の人も、搾取される立場の人も、そのお年玉で鉛玉を買ったらいい」というコピーの下、人様の企画にあからさまにあさましくもあつかましく便乗し、とみに下降線を描きがちな年初のブログ閲覧者数を堂々とかすめ取ろうというまさに外道な企画です。


これぞ人の心を流し動かす策士の技。*1


ですが、ご安心ください。
これらの本を読んだなら、二度とこのブログを読まなくても済むようになる、まるで血の色のような珠玉のラインナップをご覧にいれましょう。



ではまず一冊目。
ローラン・ディスポ『テロル機械』

テロル機械 (エートル叢書)

テロル機械 (エートル叢書)

「テロリスト」が真に聖典とすべきはまさにこの一冊でありましょう。
時間のない向きにおかれては、第一部第3章 指標 を読むだけでも「テロル」と呼ばれるものの正体のいかなるものかが見て取れることでしょう。
その中から三つだけ例を挙げましょう。

(11)権力のテロリストは「完全犯罪」を行う。
(14)誰もが二つのテロリズムを目の前にしている。すなわち国家というテロリズムと、それに対抗するテロリズムである。そして互いに相手を犯罪として、つまり非人間的なものとして示そうとする。そして自分たちの側を信じるテロリストにとっては、テロリズムヒューマニズムなのである。
(32)反テロリズムというのはそれ自体が矛盾した言葉である。なぜならそれはシステムの一部をなしているからだ。あらゆるテロリズムは現存する恐怖政治(テロル)に対する抵抗、すなわち反テロリズムでなくてなんであろう?(後略)

二冊目。
現代思想2003年3月号 特集 テロとは何か』

現代思想2003年3月号 特集=テロとは何か

現代思想2003年3月号 特集=テロとは何か

この21世紀という「対テロ戦争」時代の思索の基礎的論集だといえましょう。
テロリズム」の概念が政治的に「再定義」され、なおかつ私たち自身の生活そのものがまさに「テロリズム」となっているのだいうことを幾人もの論者が指摘しています。
一例として国家テロ論である「誰もすまないとは言わなかった」の中から「軍国主義日本」の伝統的精神がいかにテロル(恐怖)に満ち満ちているかを示す言葉を引用しておきましょう。

「いやというほど殴られ、その後すっきりするほど殴り、そして組織社会の原理をしっかり会得した。もう、やれというとおりにする術も知っているし、させる技術も知っている」。

三冊目。
上野成利『思考のフロンティア 暴力』

暴力 (思考のフロンティア)

暴力 (思考のフロンティア)

暴力・権力・法・政治・戦争・差別などの概念が全て通低する問題であることを説き、暴力とは他者との関係性において考えるべき概念であるということを示す入門的な書籍。
そして巻末の基本文献案内こそが最も重要な部分であることはいうまでもありません。



四冊目。
見田宗介現代社会の理論』

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

新書とは思えないハードな内容のため100円コーナーで見かけることも少なくない「隠れた」良書。
まさに現代資本主義社会を一望の下に概観させてくれる本書は、この社会が絶望を前提にして成り立っていることを示してくれるでしょう。
第二章2項 水俣 は、それをもっともわかりやすい形で説きます。
被害よりも利益が多ければ、決して政治的な解決はなされないのです。



五冊目。
柄谷行人『探究1・2』

探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

探究2 (講談社学術文庫)

探究2 (講談社学術文庫)

便宜上、一冊としてカウントしましょう。
哲学の入門書であり同時に哲学書でもあるこの本を読むか読まないかでは、「哲学に興味を持ってしまう人間」「考えてしまう人間」のその後の「生き方」にとって天と地ほどの差が出ることでしょう。
「考えてしまう自分」とは何なのか。
「コミュニケーション」とはいったい何なのか。
読むものが胸に抱く「答え」の方向性が見えてくることでしょう。



六冊目。
河野哲也『<心>はからだの外にある』

「考えてしまう人間」が悩む「こころ」そのものを外部へと取り出し、それがあくまで物質に基づくものであると、環境に基づくものであることを示すことで、「内面の葛藤」への一解決案を提示する一冊。
「個人」や「個性」という概念が、一人の人間を支えるどころか、いかに行き詰まりを抱えたものであるかを示してくれます。
かの一遍の詩「こころより こころをえんと こころえて こころにまよふ こころなりけり」に対する答えともなりましょうか。
しかし、「自分とは何か」という内面的な問いへの答えが「からだの外」にあるという指摘は、外部の物質的環境を整備してしまえば人間を内面から管理できてしまうという事実と表裏一体のものでもありましょう。



七冊目。
森真一『自己コントロールの檻』

自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)

自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)

心理主義化する社会」の内実が「自己コントロール」のお題目の下、いちいちの感情にいたるまでがんじがらめにからめとられる社会であり、その人間管理について「心理学」がいかに「応用」されているかを示してくれる書。
「心理学」という「共有知」を広めることで「従順さ」を引き出し、「すべては個人のこころの問題」としてあらゆる社会問題を個人へと還元するこの仕組みに「学問」が貢献しているという様を見て嘆く人間は、はたして何と呼ばれるのでしょうか?



八冊目。
村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。』

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

人間管理術として確固たる権威となった「心理学」の権力の源としての心理テストの実体が、いかにあいまいで根拠不明なものであるかを暴露する本。
だが、現実には上記二冊に示されるように、この「心理学」「心理テスト」というあいまいな根拠を元にして人間は管理され、あるいは「環境」を整備することで管理され、そしてそれが続く理由はというと、「被害よりも利益の方が大きい」という絶望が支えている、というわけです。



九冊目。
ナンシー・エトコフ『なぜ美人ばかりが得をするのか』

なぜ美人ばかりが得をするのか

なぜ美人ばかりが得をするのか

個々の人間に与えられた「環境」としての「美醜」を自然科学的かつ社会科学的かつ文化論的に論じた一冊。
後天的に蓄積される知識・教養という共有知を超えて、学習以前の先天的な能力が人間の好悪・行動を左右しているという指摘は、もはや事実としての絶望とでも言うのでしょうか。
たとえ、これを「社会ダーウィニズム」と呼んだところで、「否定しきる」ことができない以上、淘汰されることへの絶望もまた否定するべくもなく存在するでしょう。



最後の十冊目。
サイモン・バロン=コーエン『共感する女脳、システム化する男脳』

共感する女脳、システム化する男脳

共感する女脳、システム化する男脳

なぜスイーツ(笑)は「キモイ」というのか?
その問いへの直接の答えがあるわけではありませんが、脳の構造(認知システム)の特性において、女性は共感的に思考し、男性は批判・分析的に思考するのではないか、という脳科学の分野から提示された最新の「心の理論」。
もちろん、完全に男女を紅白に二分できるような偽科学的なものではなく、あくまで濃度差があることは前提となっていますが、それでもなおこの仮説を是とするならば、現代における男性の絶望に一つの理由を付け加えることが出来ることにもなりましょう。
「関係性がすべて」の「共感型コミュニケーション」が絶対視されるのが現代社会の状況なのだとしたら、そこに女性が「いきいき」と「適応」できたとしても、はたして批判・分析的に思考せざるを得ない男性は、そして中でも特に批判・分析に特化した脳をもって生まれてしまった男性には、
「適応」はおろか、「生きていく余地」というものすらないのかもしれません。



まとめ
こうして見ると、まさに絶望です。しかし、これは「はじめの10冊」ではあっても、これで全部まかなえるわけではありません。本当に「お年玉で買って欲しい」のは、10冊の本というより、そこから得られる「絶望感」です。財布を空にすると苦しいですが、頭を空にすると本当に感覚が麻痺します。本を読んで頭を麻痺させるというとなんだか矛盾して聞こえますが、本当なのだから仕方がない。絶望には希望が欠かせないのです。



今年もよろしくお願いします。あなたのテロリズムに、本blogが少しでもお役に立てることを願います。


<元ネタ>
404 Blog Not Found:2008年のお年玉で買うべき本10冊
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50977819.html


2008年のお年玉で買うべき本10冊 - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080101/1199148229

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