ご冗談でしょう、id:guldeenさん/「結婚=恋愛=子供」という枠組みから「降りる」

はてなブックマーク - 東京・秋葉原通り魔:8閣僚が出席し再発防止策協議 - 毎日jp(毎日新聞)
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guldeen 『結婚し家庭を持ち、子供を大学にやる』。そんな“当り前の事”さえ「非正規雇用」に就いてしまえば到底不可能な世の中の仕組みこそが問題だと、なぜ政治家は気付かない?雇用の安定は、治安の安定と直結。


「『結婚し家庭を持ち、子供を大学にやる』。そんな“当り前の事”」は、それほど実は「当たり前」でもない。
また、大卒以上の人間が極めて忘れがちな事実として、およその傾向として「高卒でしかできない仕事」というものがこの社会にはたくさんある。
技術の習得という時間的、あるいは身体的条件もさることながら、同じ生活空間を共有するという意味で、「高卒という連帯感」がなければそこに帰属し得ない労働環境というものが存在する。
そして、「結婚、家庭、子供」というのは、「独身が悪いことだ」という「結婚=幸福」規範をあまりに内面化していると言える。
言うなればそれは、さしあたり「生きる」事に不自由しない環境を持っているからこそいえる余裕の現れなのであって、本当に窮してしまった人間は、その「規範の内面化」が強ければ強いほど、苦しむことになる。
そのような考え方からは、「恋愛し、結婚し、子供を産まなければ人間ではない=国民ではない」という明確な差別/自分への差別意識しか生まれてこない。
まずは、「結婚=恋愛=子供」という枠組みから「降りてしまう」ことがセーフティネットとして必要なのであり、それを「政治家」=政治的特権に向かった「生きさせろ!」という倒錯した要求へと転化することはやはりナンセンスだ。


結局の所、結婚とは「国家の繁栄」を基礎づけるナショナリズムシステムなのであり、個人の幸福が確実に得られるモノでもなんでもない。
そんな不愉快なものを永続させてしまうような「結婚=恋愛=子供」を求めるということ自体が大きく間違っている。
むしろ、国家に不満を抱くのであれば、その枠組みから「降りてしまう」ことだ。


政治的な要求は政治的レベルに回収されるだけだ。
その一点において、党派的・政治的連帯を(謝った論理に基づいてはいるが)拒否する赤木の姿勢は正しい。



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