死者たちよ、安らかに眠ることなかれ。今なお繰り返され続ける過ちに無関心な、この世界を呪い続けよ。

ガザ 岡真理  ――現代のことば 京都新聞2008年11月27日(木)付


一九九〇年代初頭、パレスチナ人画家が来日した。四八年、ユダヤ人国家の建設に伴う民族浄化で、彼は生後まもなく難民となった。以来、ガザの難民キャンプで暮らす。彼がガザを出たのはその時が初めてだった。来日して一週間ほどして、取材した記者に歳を訊かれて彼は言った。「私の年齢は七日だ」


日本に来て初めて、自分は、人間が生きるということはどういうことかを知った。日本で日本人が生きるこの暮らし、これが人間が人間として生きるということなら、これまで自分はひとたびも生きたことなどなかった。だから、自分の年齢は七日なのだと。


ガザ地区…国連パレスチナ難民救済事業期間(UNRWA)によれば、ガザの人口は百四十万、その大半が彼と同じ、四八年のイスラエル建国で故郷を追われた者たちだ。難民登録している者だけで百万を超える。その半数近くが、六十年たっても依然、難民キャンプで暮らす。その一つ、ビーチ難民キャンプは一平方キロメートルもない空間に八万人がひしめく。


六七年以来、ガザ地区は、ヨルダン川西岸とともにイスラエルの軍事占領下に置かれる。産業基盤もなく、百万人以上の難民たちが生きる、地区全体が巨大な難民キャンプであるかのようなガザ。ガザは長らく、イスラエル経済の底辺を担う労働力の供給地、奴隷市場だった。


二〇〇三年三月、イラク戦争開始の直前、パレスチナ人の住宅を破壊しようとするイスラエルのブルドーザーを阻止しようとしてアメリカ人女子大生レイチェル・コリーさんが轢殺されたのも、ここガザだった。


〇五年夏、イスラエルガザ地区から前入植地を撤退させた。それに伴い占領軍もいなくなった。だが、ガザの占領が終わったわけではない。地区全体が壁で囲まれ、唯一の出入口はイスラエルに管理される。


三年前、自治政府の評議会選挙でハマースが勝利すると、イスラエルによるガザ封鎖はさらに強化された。「テロ組織」を代表に選んだ住民への集団懲罰だった。人々はガザを出ることも入ることも許されない。電気・ガス・水・ガソリンなどはすべてイスラエルにコントロールされ、最低限しか供給されない。百四十万もの住民が、かろうじて日々、生命を維持するだけの状況にとどめ置かれている。今やガザは、文字通りの監獄となっている。世界人権宣言採択六十周年を迎える世界の、これが現実だ。


アウシュヴィッツヒロシマ…。世界には、単なる地名以上の意味をもつ固有名というものがある。「ガザ」もまた、現代史に刻まれた、「人権の彼岸」を象徴する名だ。


アウシュヴィッツ解放記念日に、八月六日に、毎年、繰り返し唱えられる、「このような悲劇は二度と繰り返さない」という誓いは、何を意味するのだろう?ガザで起きていることはホロコーストではない。核兵器が使われているわけでもない。だが、ホロコーストを、ヒロシマを可能にしたもの、すなわち他者の人間性の否定こそ、「ガザ」が意味するものだ。


死者たちよ、安らかに眠ることなかれ。今なお繰り返され続ける過ちに無関心な、この世界を呪い続けよ。


(京都大准教授・現代アラブ文学)