「希望を持て」という絶望的抑圧。あるいは「正論原理主義」について


■いまある希望に乗れなければ好きで絶望してるのか? - U´Å`U
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090308/p1

大抵の人間はつい、「本当に○○なら〜」と言って、不都合の純粋性のようなものを他者に要求しがちだが、これは、他人に対して使うときには、その人間を「甘えているだけ」というカテゴリーに放りこんで、自分は知りませんと言っているだけだろう。


「どんな文脈、あるいは価値観でも、物語でもいいけれど、とにかく今世の中を流通するメッセージではがんばれない人間を立たせるには、リア充/非リア充という価値観から抜け出すには、どんなメッセージが必要なのか」


「(いまある)希望があるのに、それに乗ろうとしない。であるなら、お前は絶望好きなだけである」
という判断基準は、考えてみれば、人間がこれから新しい夢や希望を生み出す可能性への侮辱である。

■あいつらどーせ変わらないが隠すもの - U´Å`U
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090309/p1

「なんで希望があるのを教えてやってるのに、言うこときかねえんだよ、要するにおまえ、好きで絶望してるんだろ」というのは、ハッパをかけるつもりで言っているとしても、そのハッパは機能していない


ついでにその言葉が、「『お前たちが何と言おうとおれは絶望しているんだ!』と叫ぶひと」をその世界に閉じこめる手伝いをしていることになる


これが残念だと思うのは、「なんで言うこときかねえんだ!」が、この台詞を言う人の二言目である場合が多いからで、「なんで言うこときかねえんだ!」という以上、その前になんらかの提案があるのが普通かと思われる。それを提案した人は、善意でそれを言い、それを拒絶されたから「なんで〜」の台詞が出てくることになる。ここには「せっかくいいこと教えてやったのに」という気分がどうしても入り込む


問題を金儲けに置き換えてみると、この「お説教」のロジックの奇妙さが浮かび上がる。
さて、人は悩める他人に向かってこう言うだろうか?
「せっかく簡単に金儲けができる方法を教えてやったのになぜやらないんだ!!」
もし本当に「簡単に金儲けができる方法」を知っていれば他人に教えることはないだろうし、もしそれを教えるのなら「実は簡単にはできない」ことがわかっているからだ。
そこで、上の引用で強調した黒字部分について少し考えてもらいたい。そこに共通するものとは一体何だろうか?
それはすなわち信念、もっと有り体に言えば「信仰」である。
そうすれば、この「善意」の正体が、粗雑な自己啓発的圧迫コミュニケーションに過ぎないことがわかるだろう。
自我破壊と洗脳のプログラムである。
「なんで言うこときかねえんだ!」というのも、拒絶されたことへの怒りと言うよりも、マインドコントロールを形成しているツールの一部なのである。


そして、この「善意」をもう少し洗練された形にすると、次のようなものになる。

マルチ商法に関する俺の体験談を書く - sunomononanoの日記
http://d.hatena.ne.jp/sunomononano/20090315


たが、問題はこの「善意」の持ち主が「いったい何を信じているのか」である。
それを抜きにすると、「変わらないのは好きで絶望しているからだ」というマジックワードによる無限ループが始まる。

「違う、変われないのは、変わることが怖いからだ」と言っても、提案した側は耳を貸さない。
「いや変わるなんてそんな難しくねーよ。変わろうとしないあいつらは云々」という人もいるだろう。


ここにあるものこそが「信仰」の壁である。
すなわち、「人間はみんな同じだ」という「信仰」である。
この「悪平等信仰」はどうしたことか、右翼やウヨク的心性を持った人間に多く支持されているのだが、ここではそれはさておく。


この「人間はみんな同じだ」の「教義」を読み説けば、次のようになる。
「人間とはその外面に肉体的な違いはあっても、その内面にはまったく同質の精神が宿っており、それは「ごく自然に」成長と発達と発展を目指すようにできているのだ」
この「同じ精神」こそが「人間性」あるいは「人間力」と呼ばれるものである。
そして、この「信仰」の下においてこそ、「自然に」備わったはずの成長や「健全」な発達、「求めるべき」発展に反する人間に対して、その内面=精神が「悪」であると断罪され、次のセリフが投げつけられるのである。

「あいつらは好きで絶望している」


この言葉は、「自分たちは善で、それに従わない人間が悪だ」と言う以上の意味はない。
少なくともこの台詞を吐いているウチは、その人間は中国やイスラエルについてとやかく言える権利はないだろう。




■なぜ我々は強く言うのが「良い」と思うのだろうか - U´Å`U
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090311/p1

絶望している人が絶望していると言うのは、世界に対する異議申し立てなのかもしれない。


上の繰り返される言葉にかけていえば、
絶望している人が絶望していると言うのは、一面白一色に塗りつぶされた世界に七色の塗料をぶちまける行為なのだ。