なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか

アニメだからという理由で、「客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。」というのが許されるから。



もうそれは「ハードルが低い」のではなくて、「ハードルをなぎ倒している」ことになると思う。



でも、アニメだからという理由でまたそれが「萌え要素*1にカウントされてさらにぐだぐだに。



こなた理論に基づいて曰く、「つかさはかわいい馬鹿キャラだけど、ドジっ子が実際に身近にいると実害があってウザイよね〜」*2


<自>
なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - mattuneのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090505/1241459422

*1:アニメファン≒アニメに言及する者のたしなみ

*2:単なる「アニメ萌え」=感想も面白いけど、ロクな分析的パースペクティブの持ち合わせもないものまで批評に含まれるとなるとどうしようもない。例:「萌えるから萌え」「アツイからアツイ」→「アニメファン」の外部にいる人にまったく届かない「主観に耽溺した表現」