なぜ801腐女子は「収穫」されるか

理由

誕生から三十数年程度と間もない目新しい「新大陸」
>80年代以降の文化だと仮定して


市場としては「大きい」が、文化的位置づけとしては「低い」=「発見」が容易
>創作物としてもビジネスとしても「弱い」≒「扱いが容易」なものに「見られて」いる
>「サブカルチャーの中のサブカルチャー」としての「801」腐女子
>>バッシングするのはさらに容易 例:pixivランキングへのネット上での言及


男性ポルノビジネス>女性ポルノビジネス
>「男性>女性」という社会の権力関係を反映した半メインカルチャー扱いと純サブカルチャー扱いという違い


批評というマスターゲットビジネスが成り立つギリギリの採算ラインが取れる「ネタ」
>読み手≒買い手がいなければ成立しない市場原理におけるマーケティング的側面


男性優位の学問世界において女性研究者≒当事者がイニシアチブを取れる数少ない「領土」
>≒若手研究者がイニシアチブを取れる数少ない「領土」



対立点・摩擦点

批評の創作物性と創作物の批評性の問題
>文学批評的視点の有無、あるいは表現物がもつ批評的性格の自覚の有無
>一見、哲学的でないマンガから哲学を語ることも可能だし、マンガで哲学(政治)を語ることも、マンガが哲学として形作られることも可能


階層問題、格差問題としての側面
>マンガという低リテラシーメディアにおける、受け手の平均的リテラシー能力の高低の問題
>単純化・戯画化において、政治的、権力的なまなざしが含まれていることの認知能力の高低の問題

 批評者≒研究者の平均年齢>当事者の平均年齢
 批評者≒研究者の平均学歴>当事者の平均学歴


農業的な「収穫の喜び」と「育てる困難」の対立
>「労働そのもの」と「生産物」への評価の基準の違い
>生産過程における技術や作法と、生産物への「良し悪し」や「特性や属性」の判断は別


「収穫するな」という議論と「収穫物」についての議論は別物
>「収穫するな・されたくない」という議論もまた、批評的性格、政治的性格をおびてくる
>議論としてはどちらの側も成立する
>議論として完全に分離することはできない。相互的



<関連>
801ちゃんより、腐女子を分析中のみなさんへ - 腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20100511/1273595010


フェミニストから801ちゃんへ - キリンが逆立ちしたピアス
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20100511/1273606286


WEB評論誌「コーラ」4号/「新・映画館の日々」第4回
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-4.html


大学教員(メディア研究・文化社会学)・岡井崇之の書評ブログ : 『女はポルノを読む―女性の性欲とフェミニズム』守如子(青弓社)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/okai/archives/2010/02/post.html


Twitter / makotoshiga: いいかげんな知識で議論する人の方が、声が大きくて白黒 ...
http://twitter.com/oddmake/status/13980676356