セカイイチ怖いセカイカメラ

押し寄せてはくりかえす無断〇〇禁止 - ペンギンは飛行機雲を見上げて。
http://d.hatena.ne.jp/masapguin/20100712/1278926641


セカイカメラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9


Togetter - 「@kanose さんのセカイカメラ評⇒対するParsleyの弱気な弁明」
http://togetter.com/li/35757


「知らないうちに我が家に大量のエアタグがついていて気持ち悪いので無断セカイカメラ禁止」というのは本当にもうわずかしか現実との差がないわけで、そこに怖さを感じないと言えばウソになる。
そしてもちろん、そうした「無断」行為は既にGoogleMAPのストリートビューによって、「抵抗不可能なもの」としての認識が「一般化」されており、上の記事もそれを揶揄する文脈になっている。


究極的には「使う側の問題」として切断処理されてしまうものだろうが、それにしたって、人間個人の画像に、つまり顔にエアタグが設定できるようになったとしたら、それはどれほど恐ろしいセカイだろうか。
セカイカメラでタグ化された個人情報と「裸の写真が勝手にメールで送信されて増殖する」という犯罪行為とは、いったいどの程度違ってくるのだろうかという疑問は尽きない。


東のエデン」では、セカイカメラ様の携帯アプリケーションを使って「こいつ誰?」という形での個人情報の収集がされる描写があったが、こんなホンの数歩先の技術にすら「気持ちの悪さ」を感じるのは、言いたくはないが、それがより<生理的>な感覚だからではないのか。


つまりは他人を信用していない、信用しないことをベースに成り立っているこの日本社会で、「他人の視線を技術化しただけのシロモノを頭から丸ごと肯定しろ」というその態度こそがやはり気持ち悪いものなのではないか。


いうなれば社会的な「溜め」や、コミュニケーション関係におけるアジールが確保されていて初めて「気持ち悪さ」の表明に対して「揶揄することができる」のではないか。


「被害者は常に黙って美しく泣き寝入りしろ」という風潮が温存されたままで、技術格差やメディア受容格差に目を向けずに、高見で鼻高々でいられるというのはやはり気持ち悪いといわざるを得ない。


「旅の恥はかき捨て」式の匿名コミュニケーションにおいて、セーフティネットが皆無の状況をシバキ主義的に進む先は、ヘマをした人間への現実生活における足の引っ張り合いや炎上バッシングという残念な地点に居直ってしまうような気がする。


どうしたらいいのか、具体的な妙案は浮かんでこないのだけれど、とにかく匿名コミュニケーションという恐怖支配が日本の「社会」をよくするなんてことはそうそうありえないだろうな、と。


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日経コミュニケーション編集部
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