“韓国ブーム”の正体=フェミ・オリエンタリズム?

今、世間は「韓流」です。「ヨン様」に代表される韓国人俳優や、「韓国」というキーワードが、金科玉条のように、黄門様の印籠のようにもてはやされています。
別に私は、これはメディアによって恣意的に作り上げられた、捏造されたものであり、そもそも「実体」などは無いのだ、などというつもりは毛頭ありません。*1
そもそも「流行」とは、そういうものだからです。つまり、「流行」とは、装いを変えた「情報操作」なのです。それで世の中=経済が回転してきた――させてきたのが資本主義経済だともいえます。また、そのあからさまな「情報操作」を「心地よい」と感じる人たちが多くいるということでもあります。
そして、私が言いたいのは、今のような韓国文化の流行は、日本の文化的基盤をゆるがせにする危険な兆候だというような国粋主義的な主張でもありません(そういう期待をする人はサンケイ新聞でもどうぞ)。
私の感じる「問題」は、別のところにあります。
今、世間は「韓流」です。
その一方で、現在の韓国ブームに対して、疑問を持つ人は少なからずいるのではないでしょうか?あまりの異常な加熱ぶりに、うす気味悪さを感じている人もいるのではないでしょうか?私もその一人です。そして、私だけがそれを感じているわけではないことは確かです。
にもかかわらず、世間ではあれだけの数の人が韓国文化(正確には韓国ドラマ)に対して「熱狂しています」(といわれています)。一体、これはどういうことなのでしょうか?韓国ドラマ、韓国映画の「魅力」のたまもの、なのでしょうか?
韓国ドラマ、韓国映画の「魅力」として挙げられるのが、「ストレートな感情表現」や、「たくましく知的で頼りがいのある男性描写」、「たおやかでしとやかな女性描写」などというものです。
これらを言い換えると、次のように言えます。韓国ドラマ、韓国映画とは、「男らしい男」と「女らしい女」の物語である、と。だとすると、問題の所在については、実は最初から非常にはっきりしているのではないでしょうか?
つまり、現在の「韓流」、韓国ブームは、現代のフェミニズムあるいはジェンダーへのバックラッシュの流れの一つである、ということです。
そして、この韓国ブームに特徴的なのは、これまでのバックラッシュが、女性の権利拡大に「危機感」を感じ、復古主義的に封じ込めを図ろうとするような、主に男性サイドからなされるフェミニズムへのバックラッシュだったのに対して、主に、女性サイドからなされるフェミニズムへのバックラッシュとなっている点です。
それも、男性サイドからなされるバックラッシュが、直接的に復古調の主張を絶叫する、というような、傍目から見ても感情にまかせた威勢だけのものであるのに対して、この女性がリードするフェミニズムへのバックラッシュは、非常に巧妙な構造を持っているものだということができます。一見して、それと分からないからこそ、表立って誰も異議申し立てができていないのではないでしょうか。

あるいは先に、韓国ブームの「空気」を作り出している、もう一つの側面を指摘しておくと、日本のメディアに、長年に渡って醸成されてきた、こと韓国に対する「事なかれ主義的な沈黙」の姿勢が深く関連しているようにも思われます。
(とはいえ、その不必要な沈黙を促してきたのが、在日韓国人らの圧力団体活動によるものかどうかは分かりません。また、あらゆる事象に対して、無用な差別をあおることに対して厳しい倫理を要求されるメディアからすれば、タブーに触れないための最も簡単な対処法が「沈黙」なのかもしれません。しかし、「沈黙」がいかに創作意欲をそぐものとなっているかについては、先の日記で紹介した、白倉伸一郎『ヒーローと正義』にも示されています。*北朝鮮については、ここでは少し置いておきます。)
韓国には日本に対する、1910年から第二次世界大戦終了まで続いた「併合」に対する「恨」があります。そして、日本がそのような帝国主義時代の植民地主義的政策に対して「謝罪」を行った事は、世界に誇るべきことの一つだと思います。しかし、政治的レベルでの「解決」とは別に、感情的レベルでのしこりがいまだ残っているというのが現状です。
この点がネックとなって、日本では何か「かつて、悪いことをした韓国に対しては、批判的な姿勢をとること自体(考えること自体)がタブーであり、韓国のものであれば(ある程度は)無条件で受け入れなければならない。」とでもいうような「空気」があるように感じます。
何か全く別レベルの問題であるはずの二つのもの(過去の歴史=政治と現在の文化)が渾然一体となり、さらに、タブーに触れたがらないメディアの自粛反能がそれを覆い込んでいる。それが、現在の韓国ブームに付きまとっている「空気」の居心地の悪さ、得体の知れなさの一端を担っているといえるでしょう。(「渾然一体となっている」時点で、別の問題だとは言えない面も確かにあります。)

そして、最初に指摘した、巧妙な構造を持つとした「女性サイドからのフェミニズムへのバックラッシュ」について、その中身を見ていきましょう。
まずそれは、巧妙な構造というよりも屈折した内容、バックラッシュでありつつ、バックラッシュではないという振る舞いをするという、よく言えば二面性、あえて言えば矛盾をはらんだ構造となっています。
まず、このブームの根底にあるものが「らしさ」という「古きよき時代」のエッセンスにあるということは、誰しもが感じるところでしょう。そしてこのことは、韓国ブームの中核を担うのが30代後半〜50代の女性であるということが、それを裏打ちしているといえます。いわゆるこのオバサン世代が、自分たちが若い頃を過ごした時代の空気を感じ取り、幻想的な「青春」に興じているのだということもできます。
彼女たちは、世の中が男と女に明確に役割分割され、その分割された中で振る舞いを決定されることに「慣れる」ことを要求され、それを当然と受け止めた世代でした。その「青春」をリアルタイムで懐かしむという、ノスタルジックな願望を受け止めたのが韓国ドラマだったのです・・・・・・
というように、キレイに話を終えることができればよいのですが、それは残念ながらできません。
なぜなら、そこには明らかにある種の、フェミニズムに対するバックラッシュの志向が含まれているからです。それは端的に、「懐かしむ」点にあります。そして、ここにおいて屈折、矛盾が露呈してきます。
彼女たちのほとんどが家庭を持っています。そして、そのようなオバサン世代は、その多くが専業主婦として夫の稼ぎに依存した生活しています。つまり、現在の生活という「安定」を確保した上で、つかの間のノスタルジーに興じているともいえます。しかし、彼女たちが好む韓国ドラマの構造は、「らしさ」を基準とした世界です。あくまで、「女は女」だとする世界です。
フェミニズムが通ってきた長い道のりの上にある現在の社会において、得てきたさまざまの権利、可能性への可能性を目の端に捨て置き、こういった「らしさ」の世界に興じるという点には、そちら方が「楽なもの」として彼女たちの目に映っているのだともいえるでしょう。フェミニズムによって獲得した「可能性」など面倒臭い、そういう感触を受けます。
また、若い女性にもこの韓国ブームに興じる層があるといいます。これについては「流行っているから乗っているのだ」という乱暴ないい方ができる一面もあるでしょう。しかし、そうではない部分では、先のオバサン世代と同じ願望を抱いているのだということができます。つまり、「ステキで心身ともに力強い男性に守られて楽な人生を送りたい」ということです。
これは、女性にとってのフェミニズムの後退であるのみならず、男性から見たフェミニズムあるいはジェンダーからも大きな後退であるといわざるを得ません。この不況下、就職難の状況において、専業主婦を養った上で家族を持ち生活するということができるのは、それこそ限られた、世代間で特権階級を禅譲してきたような層に限られていくのではないでしょうか?
「女らしい女」であることの楽さを感じながら、心の中では「女は自分らしく」を維持し、男だけに労働することを押し付け、さらに「男は男らしく」を求め、快楽を享受するというのは、かつて男が通ってきた道をそのまま逆転させたような、押し付けがましい実に身勝手な態度だといえるでしょう。
このような、フェミニズムに対するバックラッシュ的な志向を有していながら、表面的には単なる「ブーム」である、「遊び」であるというジェスチャーをすることによって、そのことが巧妙に隠されているのです。この構造の隠蔽に関して、メディアの「沈黙」が一役買っていることは明らかです。

しかし、私が、この韓国ブームに対して、「問題」だとまでいうのは、この流れが単なる反動保守的なバックラッシュであるというに止まらず、失われたユートピアをまなざす、オリエンタリズム的な志向、ニオイが含まれているということがいえると考えるからです。

その失われた美しいユートピアこそが、「韓国」なのです。
日本が失った美しいユートピアこそが、「韓国」なのです。

「韓国」「韓国人」は、今や、新たに日本で発見された「高貴な野蛮人」の最新版なのです。だとすると、これは、韓国人にとっても大きな問題だといえるのではないでしょうか?「ウリの文化をチョッパリがありがたがっている」などという問題ではありません。
これまでも日本人は「南島イデオロギー」以来の「沖縄」、梅原猛が叫ぶ「アイヌ」「縄文人」と、折に触れて、「高貴な野蛮人」を「発見」し続けてきました。さらにいえば、日本国内に見出された「妙好人」と呼ばれた人たちについても同じことがいえるでしょう。また、柳田国男の「常民」も当然、同じことです。
この流れの中に、新たに今、「韓国人」が加わったのです。
もちろん、今流行っているのは、韓国の人たちが、単なる「ドラマ」として制作したものです。日本向けに作った「韓国ドラマ」ではありません。しかし、日本においては現在、月9ドラマにおいて在日の女性を主人公にすえるという、明らかに意図的に作り出された「韓国ドラマ」が放送されようとしています。
韓国が日本に飲み込まれようとしている、とまでいうつもりは毛頭ありません。それこそ、「ぶっちゃけありえない」ことです。
しかし、ある種のフィルターを通してしか理解しないようになりかねない端緒が、今の韓国ブームには含まれており、それがはや開かれつつあるのだ、ということは、今だからこそ、いっておかなければならないことだと思います。

(7月3日訂正)
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「韓国の人たちが日本向けに作ったドラマではありません。」
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「韓国の人たちが、単なる「ドラマ」として制作したものです。日本向けに作った「韓国ドラマ」ではありません。」


「明らかに意図的に作り出されたドラマが放送されようとしています。」
               ↓
「明らかに意図的に作り出された「韓国ドラマ」が放送されようとしています。」