新撰組!の耐えられないNHK臭さ

この大河ドラマなるものは、これまではっきり言ってロクに見た事がなかったのである。
特に、去年の「武蔵」などは、主演からして悲惨な出来で、さらにヒロインまでもが大根という壮絶なまでの不出来具合であった。軌を一にして、井上雅彦の『バガボンド』も小次郎編に入り、一時期の熱狂に比して、その人気に陰りを見せていたことも思い出される。
さて、今年の「新撰組!」は、あの「古畑任三郎シリーズ」や「王様のレストラン」、「ラヂオの時間」などを手がけた、喜劇作家、三谷幸喜の脚本によるドラマである。
「三谷脚本」。だから、見てみようという気になったのである。別に、京都に住んでいるからといって、新撰組に対してどうこういう思いなどまったくない。むしろ、ああいう暴力的ヤクザ集団を英雄視するほうがどうかしていると思っている。今でも、そう思っている。自分と思想の違う人間をたたき殺して、それで「当然」という精神は、「正義」という概念の胡散臭さが世界的に暴かれた現在、いや現在でなくても到底受け入れられない。*1
それでも、この大河という仰々しいドラマを見るのに少しは慣れてきたせいか、三谷脚本のもつ間やテンポなど、それが少しずつ見えるようになってきた。しかし、それらのすべてが、どうしてもNHK臭い、イモ臭いのである。
確かに、好意的に見れば、確かに、三谷流のギャグや、間のはずし方が随所に見られる。しかし結局、それらを上回る、それらを覆いこみ、気が抜けたサイダー、湿気たせんべいのようにしてしまう、あの耐えられないNHK臭さがプンプンしているのである。
やはり、これは「大河」であって、「三谷作品」ではないということか。
が、逆にその大河臭さ、NHK臭さが、三谷作品に新たな中心をもたらしたかのようにも見える。
これまでの三谷作品に比べて、このドラマの中心=スポットライトがどこにあるのかというと、これまでの作品のような喜劇=笑いの担い手となる存在ではなく、「悪役」にあるのである。それも、嘲りの笑いの対象となるようなコミックヒールではなく、純然たる「悪役」である。
この「悪人」へのスポットの当たり方は、格別に感じる。前半を引っ張っていたのは、なんといっても確かに「芹沢鴨」であり、今では、「土方歳三」が、組織の発展・拡大を目指し、非情に規律を振りかざす悪役としてドラマを支配している。
さてさて、喜劇としての三谷作品はNHKにおいては期待するべくもなくなってしまったわけだが、この「悪役」に注目して見ていくと、周囲との軋轢の間に巻き起こる「ドラマ」が、新たな三谷作品の魅力となって見えてきそうである。


にしても、長いよ大河ドラマ・・・せめて2クール(26話)くらいに・・・

*1:にもかかわらず、私は特撮大好き人間なのだが、それはまあ別の話か?