電信柱が長いのも、郵便ポストが赤いのも、少子・高齢・超高齢化も、未婚・晩婚・非婚化も、不況・失業・無職化も、全部男が悪いのよ。――女性をオニババ化させないために

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)
「オニババ」ってなに?/上 医学的に高齢出産を考える
「オニババ」ってなに?/下 社会学的に晩婚化を考える
三砂ちづる『オニババ化する女たち』に端を発した、「オニババ」論争。
/上では、「病院化」によって「生」にまつわるイメージ(出産へのイメージ)の否定が、広まってしまったことが、晩婚・非婚・少子化の一つの原因として挙げられる。
病院の弊害については、これまでは(もちろん今も)「死」にかかわる部分でよく言われていた。つまり、病人やケガ人のほとんどが病院へ行き、そして病院で死ぬようになり、家で人が死ぬことがなくなった結果、現代人は「死」への実感を失ったということである。

  • (そうして「死」が実体を失ったところでもって、いざ人が死んだとなれば、やはり葬式を考えざるを得ず、そこで突然やってくる「坊主」=僧侶に対して、一抹の不信感を抱くことは当然のリアクションであろう。しかし、「死」の非実体化については、それを「ケガレ」視してきたことによる当然の結果といえば当然であり、そして元はといえば寺も、今の病院と同じく社会=世間から「死」を押し付けられる場所、ケガレを廃棄する場所であったのだ。だとすれば、一様に「坊主」=僧侶だけを煙たがる、胡散臭がるのも勝手な話だ。世間の側が、もっと「死」を積極的に受け入れるように変わって行くことが必要なのではないだろうか。自殺も含めて。)

医学的・生物学的・生理学的に考えれば、若いうちに生んでおかないと、後になればなるほど高価な医療技術に頼らざるを得なくなる、ということだ。
しかし、その根本的な部分にある意識が、「お産の素晴らしさを若いうちに経験してほしい」というのでは、「お産」にまつわる社会的な側面をあまりに過小評価し、ある種のファンタジーを提唱している感がぬぐえない。ま、確かに、出産を経験した女性漫画家のほとんどが、ニューエイジ・精神世界にめざめてしまうという実例もあるように*1、そういう「すばらしさ」を感じるにはいいのだろうが。
が、しかし、口を悪く言えば、「出産マシーンとしての機能が正常なうちに、早々に労働力としての日本国民を生産しろ」と、いっているようにも思える。
「とりあえず、さっさと出産しろ」ということだ。
なぜなら、「少子化」を問題視している、「少子化」を危機として捉えているのは、まさに日本という国、政治的上層にいる人間だからだ。
そして、実はほぼこの「オニババ」論と同じようなことを言っているのが、
宗教学者島田裕巳氏の『女はすべからく結婚すべし』女はすべからく結婚すべし (中公新書ラクレ)である。
要点というかこの本の主張はただ一点、「とりあえず結婚しろ、だめなら別れろ」である。
現実の問題として、離婚時に発生する慰謝料のほとんどを男性が支払っていることを考えると、なんともいわく言いがたい主張である。
結婚したい(…かも?と思っている)女性に対して、白馬の王子さま的な理想を抱くな、ということなのだと受け取れないこともないが、問題は「だめなら別れろ」と言ってしまう、この一点に含まれる政治的な欺瞞性だ。
結局のところ、結婚してしまえば次に待ち構えているのは「お子さんはいつ?」という社会的圧力であり、つまるところは、相手が嫌なら別れればいいというのも、「だが、とりあえず、さっさと出産しろ」、ということなのだ。
そしてこれは、つまりまあ、・・・・・・もてない男・もてない女に対して、「親切」な「普通の人」が実に「簡単に」押し付ける「とりあえず誰かと付き合え、嫌なら別れろ」というセリフと同じぐらい説得力のない意見なのだ。
この「とりあえず」に含まれる社会的圧力を厭わしく思うからこそ、結婚しないし、付き合わないのであって、そして、この「とりあえず」に含まれる社会的「正しさ」を胡散臭く思うからこそ、結婚しないし、付き合わないのである。
その「とりあえずの結婚ないし恋愛」に必須とされるものが、消費行動だ。いらないものを買い、いらないものを欲しがり、いらないものを溜め込み、いらないものを次から次へと捨てる捨てる捨てていく、そういう不必要なもののもろもろの押し付けだ。
そういう無駄の積み重ねに世間が、社会が、企業が、政府が寄りかかっている限り、もはや胡散臭さは晴れないし、それに背を向ける人間が振り向くことはないだろう。
人類すべてが「アホで間抜けなアメリカ人」になってしまわない限り。


そして、/下では、結婚・出産にかかわる大きな要素として、その前提として横たわる「恋愛」の問題が指摘される。
ここでの指摘は先に比べて、よほど現実的なものだ。

「結婚の条件」などの著作のある心理学者の小倉千加子さんは、「いかに妊娠や出産が楽しくて素晴らしいものだと言われても、その前に社会の中に居場所を定め、恋愛し、結婚するという手続きを要する。その段階ごとに苦労があるのに、オニババというのは酷」と言う。
(略)
「男も女も、疲れて休むと負け組になるような厳しい社会状況で、恋愛もままならず、過労死してしまう。結婚難以前に恋愛難の時代なのです」

つまり、「とりあえず」と言い切る側の胡散臭さの一因が、「恋愛至上主義」「恋愛結婚至上主義」にあるという指摘だ。
自分は恋愛もし、結婚もし、出産もした「勝ち組」からの「負け組」への「容赦のないエール」が、「とりあえず」だということだ。
「いつまでもそんな惨めなちっぽけなプライドをいじってないで、さっさと自分を捨てて、付き合ってしまえば、結婚してしまえば、出産してしまえば、あなたもこちら側に来て人を見下す楽しみを得ることができるのよ?」ということだ。
そして、なんと内田センセイまでがこんなことを言うのだ。

「街場の現代思想」などの著書がある神戸女学院大教授(身体論)の内田樹さんも、男性のコミュニケーション能力の低下に触れ、「オニババに対応するものはないが、男性も身体性を失っている」と言う。例えば、最近の若い男性は表情が乏しく、話す内容は明快でも声のトーンや語り方といった非言語的な部分に変化がないという。

なるほど、これが「おじさん的思考」というわけか。もはや私淑もこれまで、これからは敵とみなさせていただくぞ、ご老人!!
最近も何も、私は物心ついたときからこんな感じでほかの「普通の人」から浮いて生きてきた人間なんですけどね。世間=社会から変わり者と見られ、世間=社会と馴れ合えない人間として生きてきたんですけどね。
「身体性を失っている」?ああなるほど、「レイプをする人間は元気があっていい」ということですか、なるほど。じゃあ、国士館大や日大の体育会系や早稲田スーフリのメンバーらこそが立派な身体性を持った男だということですか、なるほどなるほど。
一刻も早く彼らを無罪放免にして、代わりに身体性を失った私のような出来損ないの男を刑務所に放り込んで、入れ替えをしないと日本社会がだめになりますよー?急いでくださいー!!
100万人から150万人はいると思うので土建屋さんはがんばって刑務所増設してくださいねー!そうすりゃ公共工事で景気も回復、種馬のおかげで少子化も解消、役立たずの不労青年層の一掃にもなり万事が万事いいことずくめ!!!アレが出ればアレを買い、これが出ればこれを喜んで買う、オス的人間はそんな消費至上主義者ばっかりですから、企業にとってもいいことずくめ!!!バブルだバブルだわっしょいわっしょい!!!
いや、日本の未来は明るいですよーーー?


結局のところ、現代の社会問題の根本的な原因のすべては「男性のコミュニケーション能力の低下」というところに集約されるというわけか。
ええ、ええ、そうやって、何でもかんでも男の責任にすればいいさ、ああそうさそうすればいいさ。
どうせ関係ないしね、もてない男だから。(はっはっは
斜めにみても逆さにみても、イケメンにゃ見えませんが何か?
ひっくり返しても、遠心分離機にかけても、スプリング8にかけても、イイ男(オス)成分は検出されませんが何か?


ま、どうぞお好きなように、あんじょう難儀しとくりゃす。
わたしとこには関係あらしまへんえ?

*1:例えば、『ちびまるこちゃん』のさくらももこ