「守ってくれる男」がいない?〜ああ悪い、男が悪い、悪いのよ〜

かわいげのない生き物・・・?

このあいだの『バンキシャ!』で、「ステキな韓国人男性」との出会いを目的にした、お見合いパーティーの特集をやっていた。
さて、その観想を書く、その前に。


「宣誓ーー!!ワタクシはーー、もてない男としてーー、これからもーー、日本の少子化のーー、加速度的な進行にーー、限りなく全力でーー、貢献し続けることをーーー、誓いまーす!!」
(2004毒男宣言*1


さて、以上の宣誓を踏まえた上で以下の雑文をお読みください。*2

さて、その映像の中で、お見合いの席での自己アピールとして、
「私を守ってくれる韓国人男性がいれば、すぐにでも韓国に住みたいと思っています。」なんてことを言っていた。
30代くらいの女性が。


一瞬、「中学生か?」とも思ってしまったが、これが今の「普通の女性」の最大公約数的な意見なのだろうか。
つまり、「守ってくれる男」がここまで要求されているという点において、である。


お見合いに望む彼女らは、「日本には、私を「守ってくれる男」がいない」と、感じたからこそ、わざわざ韓国にまでいったのだろう。
が、女性とはそんなに「守って欲しい願望」が強いものなのだろうか。
というか、そもそもその女性にとっての、女性の考える、「守ってくれる」という言葉は、男に対していったい何を、どういう風に要求していると捉えればいのだろうか?


まあ、こんな風に疑問に感じる時点で、当の女性からは「だから日本の男は駄目なんだ、クズなんだ。」ということになるのだろう。
しかし、そういう女性に対して、どこかで誰かが言わなければならないことは、「お前の言ってることの意味は、はっきりいってさっぱりわかりませんよ。」ということだ。
雰囲気で判れといっても、それはどだい無理な話だ。
そんなときだけ、都合のいい時だけ、日本人的な「以心伝心」を要求するようなことが道理として通るはずは無い。


とはいえ、その映像の中に端的なヒントは提示されていた。
その特集の「主人公」の女性の「ねらい目」として事前にピックアップされていた韓国人男性のプロフィールで、重要な要素となっていたのが、
「年収1000万円」という項目であった。


あはははははは、なるほど。
まあ確かに、経済的に余裕のある男を捕まえれば、専業主婦として社会でのストレスにさいなまれることから開放されることもあるだろうし、また、大きなリスクを背負うこともなく「好きな仕事」にチャレンジすることも可能になるのだろう。
ついでに、優しくてマッチョでイケメンであれば、もう言うことなしか。

さて、それらをまとめると、結局のところ女性にとっての「守ってくれる男」とはこんなところか。
【年収一千万程度で、イケメンで優しくてマッチョな男性的魅力にあふれている男性。】


・・・・・・ギター侍風にいえば、
「私、結婚した〜い、けど、できないのは、年収は一千万のイケメンで、優しくて、マッチョな「守ってくれる男がいない」から・・・っていうじゃな〜い でも、そんな男がいたら、アンタと出会う前にほかの女と結婚してますから!残念!!白馬の王子様斬り!!!」
としか言いようがないのだが、どうだろうか。


そして「守る」という概念から、ふと思い出されるのが、かつて家庭教師をした不登校状態の高校生(男)が、「体鍛えたら、女とか守れるじゃないですか。」とかなんとかいっていたことだ。
普通の人間(=カタギのという意味で)が生きている上では、そんな暴力的な場面には出くわさないように立ち回るほうが生き抜く知恵=戦略として正しく、大方の人間はそのように生きているのだが、かの高校生の思考では、自己の「保護力」の顕示=アピールとはそういうデンジャラスでバイオレンスな場面でしかできないものとなってしまっていた。
そういうデンジャラスでバイオレンスな場面でしか自己アピールできない男に、そういう場面でたまたま出会ったとして、そこで「彼こそ私を守ってくれる男性」と、ときめいたとしても、そのあとに待っているのが、はたして「幸せな日々」であっても「平穏な日々」であるかどうかはわからない。*3
人は深刻なDV下にあっても「幸せ」を感じることができる生き物だからである。「こんな駄目な男でも私を必要としてくれる。」「彼は暴力を振るうけどあとでちゃんと謝ってくれるから。」という、幸福の感じ方も事実あるからである。
しかし、「守って云々」という言葉を聴けば、普通の男はこういうデンジャラスでバイオレンスな連想を、少なからずしてしまうのではないだろうか。

それは極端にしても、そのような「守って欲しい」という女性は一体、どの程度「守れ」ば、満足するのだろうか。
社会でのストレスから守ればいいのか、地域でのストレスから守ればいいのか、姑との確執から守ればいいのか、子育てのストレスから守ればいいのか、家計上のストレスから守ればいいのか、住環境的なストレスから守ればいいのか、暴力的な犯罪から守ればいいのか、他人との比較によるストレスから守ればいいのか、・・・そして、「守られる」ことによるストレスから守ればいいのか。
この「守られる」ことを、「守られ続ける」ことを望む女性が、際限のない被保護願望を持った女性が、はたして満足することなどあるのだろうか?


私のこれまでの人生にあった、数少ない、そしてごくかすかな恋愛へのきっかけにおいて、私があと一歩を踏み出さなかったその決定的な原因は、
その彼女らの中に密かな、だが私から見れば確実な、「専業主婦的心性」*4――すなわち「守って欲しい」という果てしない願望――を見て取ったからである。
そして、そのような強い依頼的な心情を持つ女性と付き合ったところで、私にとっては得るものがない、と感じたからである。*5
そしてまた、たとえ付き合おうとしたところで、別れることが前提となっているそれへ対して、いかほどの執着が湧こうか。

そういうわけで、私は、被保護を必要と感じさせるような女性に対しては、出合ったとしても魅力を感じることはないし、まして愛情を注ぐことなどはありえないといえる。
「対等」*6を感じさせる相手こそ、そのような女性こそ、私にとっては価値のある、魅力的な存在に感じられ、それこそがひいては愛情ともなるのだろう。
優雅で知的な格闘ができてこそ、私にとっては快感なのだ。
塹壕*7からゲリラ戦*8、はたまた空中戦*9までが、めくるめく展開されるオールラウンドなバトル*10
そういう瞬間は、たまらなく楽しい。
相手の知識が自分を上回らないことが前提だろうって?とんでもない。相手が自分の知らない話をしてくれることこそ、会話の最上の醍醐味ではないですか?
――さて、そのような相手が死ぬまでに現れるかどうかは別にして。
――現れたとして、「出会える」かどうかは別にして。*11


こういう考え方が男の中に少なくともあるのだという状況下で、いつまでも自分にだけ都合のいい「守ってくれる男」を待っていると、一体どういうことになるのか。
それは、
<長年振り向いて欲しいと願っていたイケメンが、ある日突然、どこからともなくやってきた、自分から見ればなんてことない女*12にあっさりかっさらわれていく>
なんてことになったりするのである。*13




さて、それでは、
世の「守ってくれる男」をお待ちの結婚したい女性の方々、どうかがんばってください。




僕は遠くから応援しています。

*1:「どくおドクトリン」と読むのDEATH。

*2:最近自分でもこれでもかってくらい開き直った境地に達しています。

*3:・・・これ、よく考えたら「電車男」じゃないか?まあ、偶然とはいかようにも作用するものだということで

*4:この言い方はおそらく不適切ではあるが、感覚としてこういう印象を受けたのでここではあえてそういわせてもらう

*5:なぜならば、私にもまた多分に未消化な依頼的心情があるからである。

*6:精神的な要素が大きいのであって、経済的にどうこうという面は二の次であることを申しそえておく

*7:下ネタ

*8:マニアックな話題

*9:形而上的な話題

*10:会話

*11:なんせ、もてない男DEATHからーーー

*12:訂正:この表現には重大な誤りが含まれています。本当は⇒「とても美しく、聡明で、キュートで、ポップでアーティスティックで、スリリングで優雅でゴージャスな女性」←重要!!

*13:そして、これはある所で実際に起きた事実である。