クールビズに待ったをかけて首を絞める「業界」

ネクタイ製造業者などでつくる日本ネクタイ組合連合会(小堀剛会長)は(中略)、小池百合子環境相が「男性がネクタイをはずせば、女性のひざ掛けがいらないオフィスになる」とコメントしたことについて「個別商品を排除している」と抗議。「ネクタイを締めなければ地球温暖化防止が達成されるかのような広報活動は再考されるべきだ」と訴えている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20050609k0000m020054000c.html

それに対する意見で、「なるほどな」と思ったのが以下の二つ。

325 名前:名無しさん@6周年 :2005/06/08(水) 23:03:28 id:OO4hKj+o
ネクタイばかり作っていて夏に売れる商品の開発をしない奴が悪いわな(笑)
普通の業界には端境期ってのがあって、そこを乗り切るために色々な工夫をしている
ネクタイ業界の工夫ってのは、父の日だけかい?


そもそも、父の日にネクタイを送るって風習の根幹には、ホワイトカラー上位主義が見え隠れするわな
ネクタイなんぞ必要の無いブルーカラーのおぢさんたちはには、父親として感謝される価値すらないという・・・


タオル屋や帽子屋が駆逐されたように、ネクタイ屋の番が来ただけ
駆逐されたくなければ政府に文句を言う前に、自分たちで何らかの対策を考えて欲しいわな

39 名前:名無しさん@6周年 :2005/06/09(木) 09:27:03 id:zMXDlpO7
要するに、紳士服やネクタイ業界からの献金が少なかったという事だ。
カジュアル業界よりも多く献金すれば問題ない。
満足な上納金すら払えない弱小業界に用は無いのだよ。

上は、現状維持に終始してきた業界の構造的欠陥への指摘。
下は、ドロドロとした日本政治の裏側=実態たる、パワーゲーム・マネーゲーム上の指摘。
何よりもハッとしたのが、「ネクタイ」という小道具の持つ「権威性」について指摘した上のコメントだった。
確かに、まったく持って機能的というには程遠い、無駄かつ不快で不健康なあンなものが、なぜ大手を振っているのかと考えたときに、この象徴的機能の指摘は疑問を解消するに足るものだ。
それが内にもつ社会性=社会装置としての意味合いが、いかに大きな要素であったかということをイマサラながら気づかされた。ま、元々イギリスでもそういうものとして生まれたのだろうけれども(セビル・ロウも含めて)。


あと、帽子の衰退というのも然りで、戦後すぐまでの映像や写真を見ると、ほとんどの人が外出するときには帽子をかぶっている。当時には、今では考えられないほどに帽子が当たり前のものとしてあった。

  • この一番わかりやすい例が、サザエさんの波平とマスオである。思い出してみればわかるように、波平(戦中世代)は仕事以外で外出するときにはいつも茶色の帽子をかぶっている。一方、マスオは時々かぶるという程度だ。

それがなぜ衰退したのかはよく知らないのだが、今では帽子をかぶっているのは永らえ続ける老人か、オサレサブカル系の人間かのどちらかである。*1
ひとつ考えてみるなら、やはり帽子というものにも権威性が機能としてあったことがその衰退の原因となったのか、ということがある。
戦後すぐまでの主役となった人々を帽子世代とするなら、その帽子世代の子供に当たる世代(団塊の世代)が、60年代安保闘争の時期を経て、権威への反抗という意識を高めたことで、その前時代の権威性の象徴である帽子を手に取らなくなったのではないか、ということがいえるのではないだろうか。
団塊世代が経てきたヒッピーやアイビールックなどの「新しいファッション」の中にも、帽子の影はあまり見えないにように思える。



このままの勢いで何とかネクタイをこの世から葬り去れないかなあ、と心の底から祈願します。
未だに調子の悪いときにはネクタイを調えるのに15分以上費やし、朝からブチ切れたりするumetenでした。

*1:注意:この文章にはオサレサブカル系への偏見が多分に含まれております。お読みになる際は、十分にご注意ください。