それが「自己責任」だ

光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言
 山口県立光高校の爆発物投げ込み事件で、事件が起きた3年1組や、傷害の現行犯で逮捕された男子生徒(18)の所属する3年2組の複数の生徒が、県教委が派遣した臨床心理士や同校教諭に「(男子生徒を)からかったり、いじめたりした」と証言していることが、学校関係者の話でわかった。(中略)


 証言は、臨床心理士や教諭への相談という形で寄せられた。生徒らは「無口なのをからかって男子生徒の机を揺らした」「うざい、などとひどい言葉をかけてしまった」などと話した。生徒のほとんどは「(男子生徒が)あんなことをしたのは自分のせいかもしれない」と自らを責めており、泣きながら話す生徒もいたという。

「高校にもなっていじめか」との声もあるが、それは今の高校生が一昔前の中学生レベルの精神性しか持ち合わせていないことによるものだろう。
今の大卒が高卒レベルの精神性しか持ち得ていないように。
卒業後にまで怨恨の尾を引かず、在学中に「反作用」を起こせたことが、犯人にとっては救いになることだろう。


これは「事件」ではない。
「いじめ」が「事件」ではないというのであれば、これもまた「事件」ではない。
「いじめ」という一連の流れの中の「反作用」に過ぎない。
そして、その生徒が卒業後にではなく、今ここでその「反作用」たる行動を起こしたことで、時間軸をたがえた「不可解」な「心の闇」に起因する「事件」として葬り去られることなく、これが一連の「いじめ」の中のひとつの結末に過ぎないことを示した、そのことを、
光高校は感謝すべきではないのか――。


もし、彼を愚かと笑うなら、
――第二、第三の花火が、日本各地で上がるだけの話だ。
好きな方を選べばいい。
好きな方を。