終わる世界〜ブログ、そしてSNS〜

夕刊フジBLOG - 日本で「SNS」がはやらぬワケ

 SNSを以前利用していたというEさんは、「当初は本名で登録していたので交流も広がりましたが、次第に匿名ユーザーが増えてきて、素性不明な相手との交流に違和感を覚えはじめました。結局、私も途中で匿名で再登録しましたが、逆にSNSの魅力が半減し、SNS自体から離れてしまいました」と語る。
 都内のOL、Uさんの場合はさらに深刻だ。
 「私が参加していたSNSは、途中から出会い系サイトのようになり、二言目には『どこかで会おう』『飲みに行こう』ばかり。『セフレになってほしい』と言われたこともあります」
 また、会社員のOさんのように、200人以上と知り合ったものの、「その先どう交流していいかわからず、ただの友達コレクション状態になってしまった」という人もいる。


こうして、「やめてしまった理由」を語るコメントを見てみると、結局、なんだかんだグダグダ言いながら、細々とやってきた自分なりのSNSmixi利用法というのは、意外に正しかったのかなあという思いがよぎる。


こっち=はてなのほうで、ガリガリ自分の言いたいことを勝手放題吐き溜めつつ、オタク・フラストレーションも発散しつつしながら、そんなわけのわからないブログにでも興味を持ってくれる人が一人二人と出たところで、その人をたまたまmixiで見かけたら、マイミク申請してみる…


まさにそんなちょー消極的利用法。ちなみに、mixi中毒度は2%。三日に一回くらいしかアクセスしませんが何か。そして、開始一年数か月経った現時点での「あしあと」の総数も、いまだに800台ですが何か。
――オフ会なんてお呼びじゃないです。


何も求めず、何も起こさず、ただそこにいる、という使い方は本来のSNSの目的からは程遠いのだろうけれど、引っ込み思案で奥手でシャイな性格の人間が、ネットで絢爛な自己アピールをしている方々にそうそう近づけるようなものではない。
――たとえ、有名人を見かけたとしても。*1


mixiに向いてない」というコミュニティまでできるように、実名/匿名云々という問題以前に、どこか自然と利用者が二極化してしまったというところが、SNSが「終わった」理由なのかとも思える。


まあ、ブログの何が終わったのか、SNSの何が終わったのか、その本質的な議論はともかくとして、猫も杓子もサービス立ち上げ!というブームが去ったことは確かなのだろう。
その成否もまた、IT関連事業ならではの、瞬間最大風速的なバブル景気に乗り込めたか、乗り遅れたかの違いに過ぎないような気もするが。


そうこうしているうちに、先ごろ中期計画であるマイミク10人計画も達成されました。まあ、半分はリアルで知り合いなので、はてなつながりのマイミクってのも多くは無いのですが。


つか、mixi内オンリーでのつながりのマイミクって、失礼ながら興味が続かない気が激しくするのですが、私だけでしょうかそうですかそうですね。
――ブログを知った上でのマイミクであれば、ちょくちょく見にも行くのですが。
いくら趣味や性格がアイコン表示されているからって言っても*2、問題はその各々がどのくらいどの程度かという中身なのだから、ホントに友達になりたいと思うのは、やっぱりこちらのブログに興味を持ってもらえ、そしてこっちもその相手先のブログに興味を持つ人たちだと、そう思う。


そう考えると、mixiってのは中身が非常に薄いように感じるのだ。ブログに比べて。
もちろん、それを逆に感じる人もいるだろうが、それはその当人それぞれの使い方によるのだろう。どうしても、こういう感じのエラそうなことを書いてみたい性分なもので、ブログにせよmixiにせよ、カフェやモスバーガーの店先の黒板にあるような寝言ポエムを書いている人を見ると、この天然自然栽培もののもやしっ子であるこのワタクシめをしても、あまりのいたたまれなさにダイヤモンドよりかなりやわらかい怒りのこぶしをぶつけたくなるのです。どうしても。
――イヤ、自分でもたまに書くけど、そういうときこそ儀礼的無関心ですよ?それがやさしさのカタチ、人のカタチ!


まあ、その中身の薄さを好む人もいるので、というか本来そういう向きへ作られたシステムがSNSなのであろう。つまり、mixiの薄さは構造的なもので、いつだったか電網山賊さんが言ってたような、「HP→テキストサイト→ブログ→SNS」という、脱文脈化の流れに則したものだったと。


そして、その「終わり」に訪れたのが、「一言の感情レスポンスでつながれる」という幻想の崩壊であったということか。*3




<追記>
同じような感覚の表明がここにも。

つながりばかりが過剰に意識されると貧しい関係しか築けないということが考えられる。人間関係を固定化することで無意識の呪縛が生まれ、あれも書けないこれも書けないとストレスが生まれ、定期的に交流の持続を確認しなければならなくなる。つながりを広げているようで、実際は不自由さばかりが募っていく。ネットの中毒性にはそういうものがあるだろう。
http://d.hatena.ne.jp/tido/20050629

上は元が就職問題に関するエントリなのだが、この「つながり」に対する志向の差が、今の就職率の悪さ=失業率の高さにつながっているのではないかと思った。
「ミスマッチ」といわれるものの中身にも、実はこの引用した前段で指摘されていたような、高卒レベルの会話内容と大卒レベルの会話内容のすれ違い(または、それへの警戒感)というのが、実はかなりな割合で潜んでいるのではないだろうか。
正直な話、
女と車とゴルフとパチンコと野球だけで成り立った会話など、想像するだけで反吐が出る。
腐女子とだん吉と呉竜府と社会批判とサッカー*4の話なら、できるのだけれども。

*1:一人だけマイミクにオタク方面の有名人が。【→ヒント:ショタ】でもそれも、いわばアポ付きだからなぁ。

*2:コミュニティのこと

*3:いや、だから個人差はあるんだろうけど、ね。

*4:ミーハーレベルですが何か