「孤性」というセクシャリティ〜「恋愛」の三つの層から見て〜

「恋愛」というのは、性質として三つくらいのレベルに分かれているんじゃないかなということをふと思った。
どんなのかというと、
「共生」と「共依存」と「依存」というもの。


「共生」というのが、理想的な対等かつ独立的かつ相補的な成熟した関係。
共依存」というのは、どちらもが相手に対して意識的無意識的によりかかっていることでバランスを保つ関係。
「依存」というのは、どちらかが一方的に相手に寄りかかるような関係。


そこでまた考えたのだが、「電車男イデオロギーをオタクに注入して、「負け犬」とのカップリングを促そうとしても、そこで発生するのは「奇妙な共依存」という関係になるのではないだろうか。


つまり、
「男に頼ることで見得ツッパリの日々から開放されたい女性」と「世間様へのエクスキューズとしての「恋人」を求める男性」という依存関係である。


あれ?まあどっちにしても、
「何かいいわけめいた動機」が通底していることは確かかな。


でも、個人的にはそんなそこまでいいわけがましくしてまで生きたいとは思わないな。
何でそこまで世間様にいいわけ張り巡らして生きにゃならんのか、とか思ってしまう。


だから一人なのか。orz


やっぱこれって「非モテ」じゃないような気がする。
もちろんスペック的には非の打ち所ない「非モテ」なのだけれども、こういう性格、性質をして何をか名前を付けるとすれば、


これは、「孤性」と呼ばれるものなのではないだろうか。*1

*1:そこにはまた、奇妙なアイデンティティの「ねじれ」、奇妙な成熟への志向が生じてもいるのだけれど。>オタク、NEET、ひきこもりに関して。