「まじめさ」の世代間格差

ここ数日の問題意識が、圏外からのひとこと(2005-09-16)さんと、とても近いところにあるので、お陰でスムーズに考えがつむぎだされてくる。
この「世間」に存在するあらゆる弊害のおよそ半分は*1、対人間で使われる同じ言葉に対する意味内容の齟齬にあるということができる。
これを現代思想風に言うなら、シニフィアンに含まれるシニフィエの位相のずれ、ということにでもなろうか。*2


さて、そうすると次のようなことが言える。


老人達の言う「まじめさ」とは、同調主義的「従順さ」であり、


若者達が言う「まじめさ」とは、個別集中的「奔放さ」だということである。


「従順さ」とは、まさに「みんなとおなじ」主義であり、沈黙・隷従をよしとするものである。
「奔放さ」とは少し分かりにくいかもしれないが、動的か静的かを問わず、それぞれが個別に「好きなこと」に没頭することを意味し、そこでは自分の意に反するものに対しては断固として反対し受け入れないというものである。


もちろん、両者に共通するような「まじめさ」概念もある。身持ちが堅かったり、おふざけをしなかったり、酒やタバコをやらなかったり、男/女「遊び」をしなかったり、博打をしなかったり……
だが、それらは、老・若どちらにせよ、その価値を引き剥がされ、否定されていくものであることは先にも言ったとおりだ。
「まじめさ」という病理と「惰性」という社会性


結果的に残るのが、意味内容の齟齬=シニフィエの位相のずれ――「まじめさ」の世代間格差ということになる。


その具体的な例としては、先の「圏外からのひとこと」さんのエントリのコメント欄にある、このような意識差を挙げることができる。

(老人達から:引用者注)「みんながやってることをなぜしようとしないの?」と何度言われてきたことか、、。
そしてそれに対して、非線形倫理(「人と違うことをするべきである」:ということ)のようなことを言うのはタブーであり、狂ってるとかなまけものとかみなされる、、。
(中略)いまも相方なんかには「それを言ったらバカだと思われるから、外では言うな」と言われます。が、これからは言うことにします(笑)


右肩上がりの成長神話に支えられた社会を生きてきた老人が、好んで繰り返し持ち出す言葉の典型が、「聖徳太子の和の精神」=「和を以って尊しとなす」という言葉であることは、異論の無いところだろう。
一方、
NEETやひきこもりやフリーターやパートや派遣や契約という「身分」に甘んじる若い世代が、「個性」の名の下に、「人と違うことをする」ということを至上命題として教育されてきた世代であることは言うを待たない。*3
そして、それ以上に、
この若者達が生きてきた時代とは、その自我が確立するかしないかのうちに、成長神話が音を立てて崩壊し、そこから現在に至るまでの15年間という右肩下がりの時代であるということ。
――その中を若者が生きてきたという事実がここにある。


老人達は、安定した――少なくとも未来への見通しの安定した社会の中で、「みんなと同じこと」をしていれば(ある程度は)安定した生活が獲得できた時代を、今もなお夢想し続けている。それが、「みんなと同じ事をしろ」という相も変らぬ同調主義となって、現れている。
――が、右の老人も左の老人も同様に同調主義を唱えるという滑稽さには、誰も気づかないらしい。


だが若者は、そもそも社会が安定したものだという実感など、かけらも持ち合わせていないのだ。
物心付いたときにはすでに右肩下がりの不安が蔓延し、今や一年に3万人強の自殺者、7万人の行方不明者、100万人のひきこもりがおり、子供はわずかしか生まれず、一方、老人は大量に生き延び、ろくに掛け金を払っていないものさえも我も我もと年金をむさぼり、国家といえば税収の倍の予算を毎年毎年計上するという異常な赤字体制にまみれている。


その不安な社会の中で、老人は言う、若者に対して、
「みんなと同じように年金を払え!みんなと同じように働け!みんなと同じように税金を払え!みんなと同じように結婚しろ!みんなと同じように恋愛しろ!みんなと同じように子供を作れ!みんなと同じように小泉を支持しろ!」
――そうすれば社会は安定し、それがみんなの幸せにつながるのだ――


…………ハァ?


そこにあるのはもはや思考ではない――はじめから思考など持たなかったのかもしれないが――。
あきれるほどに醜い同調主義、同調主義という信仰。そこにあるのはただそれだけだ。


だから、若者はこういうのだ。
「その結果が、今のこの社会の有様ではないのか!!!」、と。
「一体誰の責任だと思っているのだ!!!」、と。


だが、老人が聞く耳を持たないことは若者も知っている。


だから、自覚するとせざるとに関わらず、こういった意識が広く共有されるのだ。


「この社会が変わらないなら、変えられないなら、消し去ってしまえばいい。」


それが、「少子化」の正体だ。




あるいはまた、小泉への破滅的な支持の正体、なのかもしれない。

*1:なんだこの中身の無いいいまわしは

*2:←適当ー適当ー

*3:もはや後戻りはできない。