「市場化」への拒否権〜「非モテ」の深層心理〜

非モテ」って、はたして個人のセクシャリティにだけ留まる議論なんだろうか?
最近、どうも単なる「恋愛」話の「裏側」としての位置付けが強まってきている感が否めないのだが、どうも違和感を感じる。


心理的領域にまで達する「市場化」に対する拒否権の行使としての、プロテストなんだと思う気持ちが、心の底にずっとあったのだが、どうも最近流れが妙だ。


自分で言ってきたことも怪しいかもしれないが、伝統的、カソリック的教義に対するプロテスタント的な運動であるという、「非モテ」への「積極的な意味づけ」がなされるように図っていかないと、結局、「市場化」の波に食われてしまうことになりかねない。


我々の心は、お前達のフロンティアじゃない!


それだけは声を大にして言っておきたい。