「非モテ」幼年期の終わり

喪男道の覚悟です。


rangelife422さんの意見は「和平」である事は確実であると
思われますが、和平といっても様々な形があります。


1.モテ側が非モテ側に譲歩、または従属して和平とする。
2.非モテ側がモテ側に譲歩、または従属して和平とする。
3.非モテ側とモテ側が完全に対等な関係で在る事を認め合い和平とする。


単純に考えてこの3パターンがあると思われますが、
どの形を持って和平としようとお考えですか?
http://d.hatena.ne.jp/rangelife422/20050910#c1126345224

「モテ/非モテ」の対立軸を取り続ける限り、「和平」が来ないことだけはわかる。
もしそれで状況が変わったとしても、それは「停戦」であり「冷戦」であって、「和平」ではないことは確かだろう。


もし真に和平を模索するというのであれば、さらなる俯瞰した視点――ことを「恋愛」という狭い「市場問題」としてのみかたづけない視点、――「市場」そのものをまなざすような視点が必要になってくるだろう。


――そういう予感がある。

心理的領域にまで達する「市場化」に対する拒否権の行使としての、プロテスト

とは、そういう予感に基づいている。


微にいり差異をうがつようなまでのフレームアップを一旦休止し、「非モテ」からでなく「モテ」からでもなく、「モテ/非モテ」だけを俯瞰するでもなく、「モテ/非モテ」をさらにに包摂する市場化のレベルへと、そうまでの地平へと視点をズームアウトさせてこそ、聖戦士達の待ち望む華麗なる和平への道が開けてくるのではないだろうか。