まってくれラヂヲ兄さん!お願いだMasao師匠!

はてブコメントにて、

これまたネタメタ話。やはり、この種の問題は「俯瞰」していては語れないと思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/umeten/20050926/p3

うーん……、。どうにもうっかり地球を吹っ飛ばす勢いで戦闘力が有り余ってるラヂヲさんからすると、こういう手法がマドロック的に見え……違うわ、まどろっこしいのは分かりますが、
はたしてこの「モテ非モテガンダムファイト」の果てに「ガンダム連合」が築かれるのかどうなのかという問題に対して、悲観を抱くことは早計にしても、やはり別の道を探っておく必要もあると思うのですよ。


「拳と拳で語り合う」というテーゼを掲げた挙句に、拳から伝わる悲しみもへったくれも共有できずに、ただ双方が疲弊するだけ、自閉するだけというのでは、「今さらそれはあんまりじゃないですか!!」とも言えないじゃないですか。


世界=常識を滅ぼすための闘争が、世界=常識を安定させるためだけの効果しか生まなかったなんてことになれば、そんな、まさに我と我が身が疲弊する様を、策士*1が薄ら笑いを浮かべて横目に見るだけという状況なんて、悲惨すぎるじゃありませんか。


なによりも、

「俯瞰」≒(諦観=達観)

と、捉えておられるようですが*2、違います。


私の言う「俯瞰」とはこうです。

「俯瞰」≠(諦観≒達観)

この問題を、オサレサブカル的にスカして語ることを推奨しているのでは決して、ない。実感を持ち得る者が、そうしてこそ始めて意味がある、意義があるのが、「俯瞰」という視線の地平の力なんではないでしょうか。


そして、こっちのお方も少し心配なことに。

僕としては、こちらのやりとりや、maroyakasaさんとこの議論を読んで、ネガ喪とうちの主張は相互理解不可能と判断したため、もうネガ喪の相手をするつもりはありません。
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050926/1127668967

確かに、固執的な主張とかみ合わないのは分かりますが、モテ非モテ論の旗手と目される人が、そうまさに「コミュニケーションへの可能性」をあっさり切断してしまうというのはいかがなものでありましょうや。


もちろん、コメント沸騰への対処の一環としては理解できますが、なにもそれを「宣告する」必要はないわけで。言ってしまったがあとは、そこに至る過程にいかな格闘・葛藤があろうと、それを見た人は「あっさり」切り捨てた感を抱くのは否めないでしょう。*3


神でも超人でもない、人間がする議論なのですから、少々回りくどくても荒っぽくてもそれで転がして行こうじゃないですか。


スマートな生き方なんてできてこなかった、「まだ人間じゃない」と思いながらも生きている、そんな人間のための「議論」なんですから。

*1:諸葛孔明

*2:あくまでこちらの推測です念のため

*3:まあ、前にこっちのブログでも「宣言」したことがありましたけどねー