僕の体の中には不特定多数の人間から無時間的に引き受けさせられてきた暴力が怨念となって渦巻いている
重要なのは、怒りに狂う“当事者”が論争に参加する際、目の前の論敵は「かつての(あるいは現在進行形の)凶暴な理不尽感を再活性化させる契機(トリガー)」なのではないか、ということです。
▼今の私は、たしかに目の前の人物に怒っている。しかしそれは、かつて経験した“あのアレ”の再体験でしかない(だから《現在》の論敵にとっては、「何を過激に怒ってるんだ?」と感じられる)。
――精神分析で言う「転移」の問題です。
かつての理不尽感の「代理体験」というよりも、その理不尽感が目の前でそのままリアルに再体験されている、そこで導火線に火がつき、激昂している。
「死ねばいいのに。」とはこういうことだ。
「殺すしかない。」とはそういうことだ。
そもそも話は通じないのだから。
自らの無知・無自覚さによって他人を地獄に突き落としておきながら、またその無知・無自覚さによって自らの極楽での生活を享受するような人間ドモが憎い!!!
憎いぞ人間ドモ!!!