それこそオタク・非モテへの精神的売春の強要ではないのか
オタクは「怖い」という論調は、ヤンキーのような「何かしそうで恐い」ことよりも「何をするか分からなくて怖い*4」ほうが「悪」という印象を受けます。
つまり、こういうことか。
『他人に感情を見せない、見せられないような人間は、たとえ、その言動がいかに非暴力的なものであっても、貶められ、蔑まれ、見下されて当然であり、その価値は暴力的な言動を日常的に撒き散らすヤンキー*1以下である。』
『むしろ、暴力的な行為にあけくれけるヤンキーの方が、「健全」な「豊かな感情」を有しているのだから、人間としてすばらしい存在である。』
『感情を表に表してこそ「普通の人間」である。』
『もしオタク・非モテが人間扱いされたいのであれば、さあ心を開きなさい。その感情を白日の下にさらけ出しなさい!』
『なぜそんな当たり前のことができないんだ!!』
『「普通の人間」なら「自然」にできることだろうが!!!』
『「人間として自然な感情」を表現できないヤツは人間ではない!!!!』
こうして「無恥」の犯罪への道が開かれ、無自覚なレイシズムの無限再生産が「人間性(ヒューマニズム)」の名の下に繰り返され、合法的きわめて合法的な*2精神的かつ物理的な暴力が、「普通の人々」に容認されることとなるのだ。