大月隆寛のかわいそうな芸風
――知られざる苦悩、といったほうがいいのだろうか。
先日、別冊宝島の『マンガ嫌韓流の真実!』というムックをパラパラと立ち読みしたところ、『マンガ嫌韓流』のコラムに続いて、また大月隆寛がエッセイを書いていた。しかも二本。
さて、一見したその印象を一言で言うと、見事なまでのm9(^Д^)プギャー!! 節のオンパレードであった。
さわりだけを取り出すならば、
サヨク/リベラル m9(^Д^)プギャー!!
インテリ m9(^Д^)プギャー!!
ポストモダン(笑) m9(^Д^)プギャー!!
文科系/人文系 m9(^Д^)プギャー!!
m9(^Д^)プギャー!! m9(^Д^)プギャー!! m9(^Д^)プギャー!!
とまあこんな感じだ。
さても、ここまでかの心象を言語野に憑依させそれを文章に結実させたものだと、そのことに一抹の感慨を覚えながら、
さて、曲がりなりにも人文系の訓練を受けた者として気になるのは、もちろんそのエッセイにおけるファッションたる壮大な前フリ*1ではなく、エッセイのエッセンスたる結論部である。
…………なにこのすさまじいまでの竜頭蛇尾っぷり。
コレはあれですか、意気軒昂と意気消沈のモデルケースが一本の文章で読み取れるという一粒で二度おいしいエッセイとかそういった意味深長な深謀遠慮がデフォルトで実装されてるとかそういうことですか。
「アタシはウヨの味方だよ!」「シャカイの真実を見せてやるよ!」というなりふりかまわぬ身振り手振りも、
東浩紀を生贄の山羊*2にした非インテリ的かつ大衆的スタンスの強調も、
なにもかもがこのオチのすさまじい急降下っぷりの、ネタ振りにしか過ぎなかったとかそういうことですか。
さんざん、m9(^Д^)プギャー!!節で晒し上げたはずの文科系/人文系の思考力に対して、最後の最後でその再構築だとか再編成だとかへの期待と使命感を匂わせるというのは、
二本のエッセイが二本共にまったく同じような、ジェットコースター構成になっているというのは、
正直なところ、その当の文科系/人文系訓練を受けたものであるなら*3、誰しもが読み解けてしまうようなものなのですが。
それが一旦、獲得してしまった*4「芸風」の「定め」というものなのでしょうか。
はたまた、引き受けざるを得ない「原罪」というものなのでしょうか。
あぁ、お姫様かわいそう……じゃなくて、
暴力デブ太郎(´・ω・) カワイソス