恋愛弱者蜂起集会『Re:Mote(リモート)』第三部レポート〜モテくんと非モテちゃん〜

サブタイトル「身体的にも金銭的にもモテモテな、銭ゲバ常連のARKさん登場」の巻。


……とまあ、こんな感じでみんなして『電車男スタイリング・バイブル』に油ぶっかけて火をつけて焼き尽くして遊んでいたところで、いつのまにか0時を超えていたりする。


「とりあえず、メリークリスマス」「ぁ、メリークリスマス」


さびついた夜の挨拶が、よどみきった店内にこだまする。


サブカルの巣窟に集う「非モテ」たちが、今夜も妖怪のような曖昧な笑顔で、背の低いソファーに沈み込んでいく。


オサレなど知らない心身を包むのは、地味な色の「制服」。


ズボンのタックは目立たせないように、長いセーターの袖はまくってダレないように、まったり着崩すのがここでのたしなみ。


恋愛弱者蜂起集会。ここは、「非モテ」の園。


さて、誰かが持ち込んだ『マリ見て』の最新刊の表紙を眺めながら頭の中をめぐっていたのは、見るもの全てをネタにするそんなたゆまぬブロガー精神の研鑽……ではなく、
「夜は寝る子」の精神を忘れたのか!という背筋や肩甲骨や腰が上げる悲鳴のような叫びであった。


ソファーの上でくねくねと変な踊りをしながら、にっくきオサレ系自己啓発書を焼き滅ぼしたというやり遂げた感に浸っていたその時、
その非められたエンジンにようやく火がついたのか、ラヂヲさんがやおら立ち上がり、カウンターにいつの間にか控えていたチーム銭ゲバの誇る最終兵器――「モテ OF THE モテ」ARKさんを投入した。


それにより、戦況は一変、マスターラヂヲの司会進行と共に、その場についに「オフ会らしい雰囲気」が形成されたのだった。


そこで、ついに恐れていた事態が起こった。
そう「自己紹介」である。*1


まったくもう、いったいどこをどう切り出せば最小公約数的にパッケージングされた人畜無害で面白おかしいアイデンティティを開いて見せられるというのか。
それ考えると、初対面とはいえブログやってるもの同士だと、名前くらいしか聞かなくていいから非常にお気楽だ。
自分でオフ会みたいなものをやるときは基本的にネット経由での知己に限り、なおかつ少人数でとなっているのは――まぁ、ぶっちゃけそんな深い考えはなくて、単にリアル友人という生き物に絶滅危惧種指定がされているからなのだが……orz


ちなみにこの時のメンバーは、時計回りに、ARKさん、マスターラヂヲことid:rAdioさん、id:TZKさん、トリックスターさん、id:kiya2014さん、id:tenkyoinさん、でもってumeten。
でもって、自己紹介の順番は、その逆。
そしてその順場からも推測できるように、このRe:Mote最終章の主導権は、最初からARKさんにあったといえる。


さて、その自己紹介の中身はというと、――もう誰が何しゃべってたかほとんど覚えてません。


ただ、その中でもインパクト満点だったのが、mixi銭ゲバ人のトリックスターさんの自己紹介。
その「今まで一度も参加したことのない、まったく知らないネットコミュニティのオフ会に参加するのが趣味」という発言。


そんな「非モテ」は「あり」なんかw
というかそれは「非モテ」なのか。
非モテ」概念を根底から揺るがす、そのぶっちゃけありえない行動と実績に、皆が「すげー!!」と、衝撃を受けたことは確かだった。


そして、その衝撃覚めやらぬうちに明かされた*2ARKさんの正体というのが――


自動車のイメージデザイナーで不動産屋で貿易商で格ゲー全国三位で元ボクサーで留学経験有で既婚で二児の父親@推定年商億単位。


うわぁ……深夜の無気力体力が生む無重力テンションでないと受け流せないわコノ衝撃。


「結婚した当初は無職だった」とか言ってたけど信じられん。
「当時は社会に絶望してた」とか言ってたけど信じられん。


ハッキリ言ってあの場にいた人間の内で一番アレなのは(あqwせdrftgyふじこ*3


と、まあ、そんな有馬記念鉄板圧勝ディープインパクト*4が、あらためて一同を包んだわけで、
でもって、その後の話の流れ、というか話の「正否」は、「ARKさん基準」によって流れていったのでした。
その一々を具体的に振り返ることはできないのだが、
そこには妙な空気が。


ARKさんが良いと言うものは良い、ARKさんがダメと言うものはダメゼッタイ!という妙な空気が。


もちろん、実際にはARKさん自身も「あくまで個人の意見」という留保的な姿勢は垣間見せていたものの、その身体に裏付けられた自信とアグレッシブな会話術に、場はまるで大潮の引き潮時を思わせる様相。
まあ、スタメン選手と後半20分投入選手という意味での体力の違いがベースにあったのは確か。
また、ARKさんが「夜の生き物」であるということもひとつ。
なのだが、
そこでも、うっすらうかがえたのがとある「問題」であった。


この日、この場での収穫した、その「問題」のキーワードとは、
一言で言うと、「身体」*5という問題である。


私の意見とARKさんの意見とが具体的な衝突を起こしたのが、まさにそこだった。


たとえば、子どもを持つことを「命のバトン」といい、それこそが「人間の本質」だとするARKさんの意見。
それを導く「意義」「素直な感情」「目的」「答え」「正解」といった、大上段で振り下ろされる修飾語。
そして、その返す刀で「否」という口に止めを刺す「精神的に弱すぎる」「それは逃げだ」という一撃殺法。


たとえば、「わからない」という留保にさえも「肯定」「否定」の白黒を要求する「強さ」。


――なのだが、その時の私はもうほとんど疲れきっていて、そのまったくかみ合おうとしないあいまいな姿勢が、余計にARKさんをイラつかせていたのはハッキリ分かった。
が、
それでも、「何かどこか抵抗感を感じさせるのはこの人のいったい何なのか?」と、場の議論を聞き流す頭の裏側でふと思い浮かんだのが、その「引き芸」ならぬ「押し芸」的な姿勢を支える、「身体への信仰」というフレーズ。
「身体」というキーワードだった。
で、またそんな思いつき間際の単語を口にしたものだから、案の定アドリブ利かない舌のもつれでもってロクに説明できなくて、それもまたARKさんの神経を高速で逆なでしていたのだが、そのキーワード自体は間違ってはいないと感じる。


非モテ」が身体的な欠損を精神で埋め合わせようとしても、身体論的世界観の圧倒的圧力によって、押し流される。
……という「現実」。
ここに言う「身体」とは、物理的存在すべて、肉体そのもの、あるいは物理的存在を左右する「力」としての金銭、すなわち「モノ的なるもの」。
対して、「非モテ」がそのよりどころとするのは、まさに「非持て」――持たざるものとしての空位玉座
裏切りへの衝動をはらむ不確定性原理
満たされぬ、満たされてはならぬ聖なる欠落に絶え間なく流れ込む「モノ的なるもの」の誘惑するイメージ。


しかし、うっすらと見えるこのキーワードが導くゴールは実に恐ろしい。
これは、自身をあっけなく敵方へ転ばせる可能のある、いや、「転向」したとみなされてもおかしくない「結論」を突きつけられるものだ。
できれば、この「身体」というキーワードは今触りたくない。
もちろん、それを回避することも可能だ。今なら可能だ。
しょせんは「結論」に過ぎない。
だが、それがどこまで通用するのか。
それを最後まで聞いてくれる過去の自分は果たしているのか。
その力が「「自分」」にあるのか?


「人はパンのみに生きるものではない」
彼岸に両足突っ込んだ今の状態を「肯定」することもできる。
だが、その基盤もそもそも「どこ」にあるというのか?
「人はパンのみに生きるものではない」のだとしても!


だが、未来も希望もない現状で、何ゆえにそのような保守「性」をまとわねばならないのか!!
たとえ、一瞬足りといえども!!












僕は……嫌だ。

*1:あぁ、なんという忌まわしい響きか――

*2:ゲッターロボ

*3:自己防衛装置が作動したようです

*4:負けましたけど

*5:付け加えて言うと、オタクの「身体」、男の「身体」