「はてなブックマークのコメント欄が酷いのは許せない」というのは、感情論でも宗教論でもなく、「ルール」と「能力」の問題

そんなところで「日○教」とか持ち出すから、またぞろあいまいな概念が裏側から補強されて延命されてしまうのであって、反信仰の徒としてはこのような不用意な言動は、寝言ポエムであると、それ以上でもそれ以下でもないと指摘しておかねばならない。

個人的に「blogでコメントすること」と「はてなブックマークでコメントすること」の違いが分からない。
import otsune from Hatena - 「はてなブックマークのコメント欄が酷いのは許せない」と批判する人がいるのは日本教という宗教に反しているからだ。と解釈できそう

しかも、このリンク先の核は上記のように、ブログとブックマークという「レベル設定」の問題に対する指摘である。
タイトルに課された「日○教という宗教」という概念については、それが何であるかほとんど言及されておらず、よくわからないながらも確実に存在する何かというような「印象論」でもって、その言葉面だけが先行することとなっている。
これはひどい」といわざるを得ない。


ムラ社会」的な感情論をして、そう言っているのだろうが、だったらそういえばいいのであって、わざわざ「○本○」なんてクソったれな概念を補強することに何の意味があるのか。


この問題は、「批判されたことに対して否定的に反応している」というよりも、ましてや「日本固有の宗教風土的反応」なんていうよりも、これはその場における「ルール」と「能力」のズレの存在の表明であるとしたほうがいい。


たとえるなら、「K-1」と「総合格闘技」の問題だ。
パンチとキックだけに限定された純粋なスタンドでの打ち合いである「K-1」、対して、立ち技に加えて投げ技、寝技、締め技などほとんど何でもありの「総合格闘技」。


それらはそれぞれの場において、その「ルール」に基づいて行われている。
そして、好きな人はよく知ってるように、「ルール」には「適性」というものがある。


同じことで、ブログとブクマの大きな違いは、その「ルール」がどこまでの範囲にあるかという点で、それは端的にいえば「文字の量」であるし、もう少し加えれば「TB」や「リンク」といったシステム的なことになる。


要するに、ブックマーク批判者というのは、ブックマークというルールでは対応できないことを表明しているだけなのだ。


特にはてなブックマークは、つい先日までは制限が50文字であったし、100字に緩和されたとはいえ、それを「ルール」として使いこなせる「能力」のある人間ははっきり言って多くない。
リンクを記入するだけでも、およそ30〜50文字が消費されるという状況では、ブログという総合ルールのおかげで何とかしのいでいる層にとっては、何も変わっていないのと同じだろう。
対して、一撃必殺のブーメランフックやブラジリアンハイキックを自由自在に使いこなす層にすれば、100字という制限は、むしろクリンチが禁止された程度のことでしかなく、ますますもって意気盛んに派手な打ち込みを仕掛けることになる。


気に入る気に入らないというのは、できるできないという問題である。
スタンドが得意な人間はたいてい総合には向いてないし、グラウンドが得意な人間はたいていK-1には向いてない。


というかまあ、総合格闘技なんてルールにのっとったような生易しいものじゃなくて、頭突き、目潰し、肘打ち、噛み付き、引っかき、急所攻撃という、感情論に人格攻撃というストリートファイトかギャングの抗争か陰湿ないじめみたいなものが好きなのが、批判否定論者なのかもしれない。











ここんとこ頭の調子が悪いので、こんな自由主義的なエントリになってしまいました、と。