はてブってある意味ブログ殺しだよね

はてブとは、「ブックマークしてそれにコメントをつけられる」システム。
先には「トラバ殺し」(トラックバック殺し)といいましたが、それってつまりどういうことかというと、


トラックバックを送るための元となる言及記事がなくなる」ということだ。


トラバが死んでいるということは、同時にブログエントリ――記事が死んでいるというわけ。


確かに、50字から100字で十分、というコメント程度の記事もあるだろう。
言及リンク原理主義的なスタンスの人にすれば、そんなたいして中身のない記事からトラバを受けてもうれしくない、というのもわからないでもない。


けれども、それでも、はてブにコメントが記入できるようになり、それがある種の「場」を形成し始めた現在、
もはや、はてブを利用することは、すなわち「コメント」を何らかの形で大なり小なり「書き入れなければならない」までの暗黙の強制力を発揮しているのではなかろうか。


また、コメントが「過熱」――「炎上」しているエントリ=ホットエントリでは、この傾向がより過剰になり、もはや「コメントするためにブックマークする」という動機の順逆自在の術*1が発動している。


そこまでいかずとも、100字というのは、まさに微妙な文字数で、うまくすればちょっとした書評でもかけてしまう。
であるならば、はてブのコメントにブログ記事が収奪されてしまういう現象も、事実としておきるわけだ。


そして、問題なのは、100字に収奪&集約されてしまった記事からは、それ以上の「含み」を読み取ることが難しい、ということである。
揚げ足取りだとかそういう意味ではなくて、本人も気付かなかった重点の存在や、派生的問題の発見、自らの視点に存在する誤り、脇の甘さ、といったものが、文字数の圧縮によって書かれないことになり、隠されてしまう。


結果的にそれは、もしかしたら生まれたかもしれない新しい着眼点や、その記事作成者の成長に資するような指摘、共感を軸にして深まる交流といったもの全てを、亡き者にしているといえるのではないだろうか。


すなわち、はてブがブログを殺しているのである。


――もちろん、これはソーシャルブックマーク全体の問題であると思うが、あえてここでは、はてブを代表させた。
なぜなら、僕がはてブによって記事を殺している人間の一人だからだ。








というわけで、umetenのブックマークをよろしく。


<参考:関連>
〜大ブロ式〜 - 批判か無視か、それが問題

*1:クロノスチェンジでも可