非モテの信教の自由とモテの表現の自由――社会構造的格差のコンフリクト

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『ところで、私は非モテのテキストから或る心的傾向を抽出しようとしているわけですが、それ即ち非モテ達への恋愛推奨とイコールなのでしょうか?私は傾向を指摘しただけであって、傾向を修正するよう指示した覚えはありません。それとも、指摘されただけで「それはやるべきことなのだ」という自動的思考がa-mutterさんのなかにおありなんじゃないかと思いますがいかがでしょうか?私は今後も非モテの心的傾向に着目し、どんどん書いちゃおうと思ってますが、それを修正せよというつもりはありません。むろん、事実の指摘が修正そのものが「べき」に変化する人がどう反応するかはそれぞれ個人の自由でしょう。a-mutterさんには、「押し付けられた!」と思い込む権利があります。義務はありませんけどね。
a-mutterさんも含め、私のテキストにトラックバックしてきた非モテ自称者達は、指摘が即ち押し付けになってしまうように見受けられます。この一律な反応からも、やはり自称非モテたちには共通する心的傾向なりコーピングなりが存在する事を強く疑う&そこがキモなんだと思う次第です。』

つぶやきば@はてな

今一番「はてならしい」問題を提供しているシロクマさんのこの意見の提示スタイルなり、そのベクトルなりをみると、この問題ととてもよく似ているように感じる。

そもそもの原因になったムハンマドを描いた12枚の風刺漫画
Yahoo!ニュース - ロイター - ムハンマド風刺画に中東全域で怒り爆発
Yahoo!ニュース - 共同通信 - ルモンド紙も風刺漫画掲載 表現の自由を主張
参考:eirene - ムハンマドの漫画 3

さしずめ、戯画化されて怒るイスラム非モテに近似し、さっそうと表現の自由を掲げてみせたルモンドがシロクマさん、というところか。


だがこの問題の核心は、実は「信教の自由と表現の自由」という部分にあるのではなく、社会構造的格差のコンフリクトにこそあると考えるべきだろう。


すなわち、イスラムの怒りの一因は、グローバル経済という名の西欧型軍事=経済システムによる支配を影に日向に日々に受けていることが背景にあるのではないか。
だからこそ、いわば自らの依って立つ最後の砦たる内心の自由=信教の自由すらも、「表現の自由」という西欧=キリスト教世界の倫理観によって裁断されるのか!という絶望的な衝撃に対する、乾坤一擲の衝動として、この怒りの暴発が導かれているのではないだろうか。


シロクマさんの「まっとうな指摘」が「即ち押し付けになってしまう」ということ、そしてそれに対する「まっとうな違和感」と「反発」というこのコンフリクトもまた、このムハンマド漫画化問題と構造を同じくしているのではないだろうか。


戯画化して申し訳ないのだが、モテだしオサレだし社会的な優位をもお持ちなシロクマさんが、なんだかんだで生得的な環境要因でもって劣位に置かれがちな非モテに対峙するということは、もうその時点で、絶望的な「構造的格差」を目の前に突きつけるような効果を生んでいるのではないか、ということだ。


もちろん、各言説が全て免罪されるものとし、格差の構造にのみ原因を求めるなどということではないが、要はイギリスの新聞各紙が、問題の漫画を掲載することを見送ったというように、持てる者はより「慎重」「丁重」であらねばならないのではないかということである。
――これは、物質面においてにも金銭面においても知性面においても、である。


「金持ち喧嘩せず」というのは、案外「ノブレス・オブリージュ」という社会還元の作法なのかもしれない。