ひきこもりは労働問題というよりもそれ自体が重労働である

Freezing Point - 「正確な実態把握の上での対策」(id:ueyamakzk)を見て、ふと思った。
ひきこもりとは、マクロ的視点からはもちろん「労働問題」なのだろうけれども、
ミクロ的視点から見ればそれは、「ひきこもりという行為自体が当人にとっての重労働になる」のではないだろうか。


ひきこもりを「無給で24時間休日なしの自己単独労働」だと考えれば、それが世間の目で言われるような享楽的な快楽的なものではまったくないことが、よりグロテスクに伝えられるのではないだろうか?


少なくとも閉塞的な環境を感覚的言語として表現することは、なんでもかんでも「自己責任」のひとことで社会に思考を及ぼそうとせず(その余裕もなく?)、単なるひとごと的な「シャカイモンダイ」として「なかったこと」にされがちなこの国の風潮に対しては、有効な方法論なのではないだろうか?


もしそれでも、ひきこもりを叩こうというのなら、それこそその叩く側の人間に「社会性」が欠如していることの端的な証明になるんじゃないのか?
なぜなら、そのバッシングの衝動の源泉が、「社会との接点を忌避できていることに対する羨望」だとしか考えれらないからだ。
その「社会などとは無縁にすごしたい」という欲求は、すなわち「反社会性」と呼ばれてしかるものではないのか。