オーマイニュースがいつのまにか精神の根底から死んでいた件について

CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(上)

そしてコメント334番になって、平野デスクが書き込みを始めた。

記事の質が悪いから、コメント欄にきつい書き込みが集まるのだというご意見が多数ありました。
そういう面があるかもしれません。
ただし、編集部としては誹謗中傷は多寡の問題ではなく、ゼロにしたいと思っています。


私はこのコメントを読んで、彼のネットコミュニティに対するこうした理解のしかたが、ここまで事態を悪化させたのではないかと思った。
たしかにコメント欄には、罵声や誹謗中傷といったノイズのようなものも含まれている。きつい批判もある。
しかしインターネットのコミュニティでは、聞きたくない批判はもちろん「ノイズ」だって存在するのが当然であって、それらを排除してはならない。「ゼロにしたい」というのは排除の論理であって、ネットのコミュニティで運営側が発言すべき言葉ではないと思ったのだ。
おまけにここは、単なるネットコミュニティではない。市民ジャーナリズムを標榜するメディアなのだ。
排除の論理と市民ジャーナリズムがなぜ同居できてしまうのか。


全体主義的愛国教育をもくろむ日本政府と同じことをしておいて、それでジャーナリズムは出来ないだろ……
常識的に考えて……

「コメント欄は誹謗中傷ばかりだ」と苦情を言っている市民記者や編集部員は、ネットの世界に慣れていないから、ノイズばかりが目に入ってしまうのだ。
一方、ネット議論に習熟している人たちは、意識的にも無意識的にもそうしたノイズを水面下に押しやってしまい、ノイズはあまり気にならない。


そして、オーマイニュースの市民記者にはスルー力(ちから)が足りない!圧倒的に足りない!!という指摘。
それはネット記者として致命的な資質の欠如じゃないのか。
あと、「ネットは荒野だ!唯一野望を実行に移す者のみがこの荒野を制することが出来るのだ!!」 という野望の精神が足りてないな。


なんかオーマイニュースって壊れそうなもの足りないものばかり集めてしまったような感もあるのですがそれは言い過ぎか。


あと、記事内でトニ○さんが具体的にオーマイニュースの評判を落としていたりする様子が明示されていたりしてやっぱりなぁなんだかなぁとおもった。


で、さらに続きの記事を読んだら、もうね、思わずシマウマが出るほど笑った。
CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下)

結局のところ、編集部はオピニオン会員の議論とはまったく別の場所で独自の議論を行い、そして独自の決定を下したのだった。
そうであれば、「悩んでいます。議論をしてください」と言われ、三週間にわたって激論を繰り広げてきたオピニオン会員たちが怒らないわけがない。
「意見を求める」と編集部が公言するのであれば、「形式的に意見を求めたのだから、それでOK」とするのではなく、きちんと意見を集約することが運営側の責務である。
しかし平野デスクは私に対し、ミーティングの場で「とりあえず意見を求めたという形だけを作れば、それでOKなんじゃないの?」と言い出したこともあり、その発言に私はかなり仰天したのだった。


なんていうか、オーマイニュースは本気で箱さえ用意すれば、現代社会を憂う良心的な市民の良心的な市民による良心的な市民のための「市民メディア」を作れると考えてたんだなぁ、とこころの底からため息が出た。
というか、ガ島通信が一枚噛んでてもこの始末か。

もちろん、ネットのコメント欄での議論である以上、議論は整然とは行われない。
さまざまな意見が出るし、中には遊びのコメントや罵声、皮肉も流れ込んでくる。
だがそこにはある種の空気が醸成されていっているわけで、その空気がどの方向に向かうのかを慎重に見極めながら、議論の行く末を制度改正案へとまとめていく――それが編集部に求められていた役割だった。
だが平野デスクはノイズのような意見ばかりをあげつらい、そうして「やっぱりこんなふうにノイズが多くてまとまらないじゃないか」と言い切ってしまったのである。


オーマイニュースはジャーナリズムのメディアである、そしてネットのコミュニティでもある。
新聞やテレビのような旧来型メディアであれば、ベテラン記者やデスクが若い記者に対して高見からモノを言い、指示することも許される。
だがネットのコミュニティでは、運営企業はいかにユーザーの意向をうまく取り込み、最善のコミュニティ運営をしていくのかが求められている。
さらにいえば、オーマイニュースは「市民参加型ジャーナリズム」という高邁な理想を標榜しているではないか。


はてなブックマーク - はてなアイデア - 社長交替した方がいいと思いました。を自らブクマするじぇいこんを見習え、じぇいこんを。


というか、

「市民みんなが記者だ」という言葉で、ユーザーが記者として内部化していくことを前面に打ち出したのであれば、それらユーザーの声を黙殺し、主導権を編集部サイドで確保するというのは、自己矛盾ではないのか。

この自己矛盾の例であげられてる点がひどすぎる。
よってもう、あえて晒す。(ただ引用するだけですが)

オーマイニュース編集部の中からは、彼らがユーザーをどう認識しているのかということを象徴するような発言が飛び出してきている。たとえば、西野浩史デスクは沖縄県知事選・勝敗を分けたのはというオーマイニュースの記事で、記事に対して批判した二人の市民記者に対して、こうコメントで書いた。

罵倒観音(hogehoge)さんとTrueno(AE86)さんの書き込みを拝見して思うのは、「この人たちは自分の実名を出して同じことが言えるだろうか」という疑問です。
ネットの世界でたまに出会う人種ですので、そういう意味で大変興味深く拝見しています。

市民参加型ジャーナリズムを実践している編集者が、「人種」という言葉を軽々しく発するというのはどうだろうか。また西野デスクは、自分のブログで、次のようにも書いている。

インターネットのサイトを通して仕事をしていると、読解力が欠如した人に出会う機会が増えた。コメント欄にトンチンカンなことを書いてくるのである。
例えば共通テストレベルの現代文の試験を課して偏差値70以上でないと書き込めないようにする、といったことができればとりあえず排除できるかもしれないなどと考えてしまう。
人生は短い。有意義な人間関係を築きたいものである。


これはもうだめかもわからんね