「はてなっぽさ」から導く「らしさ」と「帰属感」、あるいは「非モテ」について

驚くほど意外なことに、「なぜ自分はここまではてなに対して帰属感を抱いているのか?という疑問」は、疑問の形にすらなっていなかったのだった。
この記事を読むまでは。


ner式:キミはてな、ぼくgoo、みたいな帰属意識


もちろん、「駆け出し」の頃は東浩紀とか転叫院とかいったコアな人たちの「奇妙な」振る舞いを遠巻きに斜めに眺めていたのだが、特に誰かに「絡みに行った」という記憶もなく、なんか独り言を言っているうちに、いつの間にか「絡まれる側」になっていたという感がある。
あーでも、最初ころは内田センセイとかR30とかにトラバとかしてたかな。
……ってでも、はてな外じゃん。
カラテカ非モテ」化させられたきっかけになったMasaoさんにしても、ココログだったし。
シロクマさんに至ってはそもそもテキストサイトだし。
メジャーなはてなGUYに絡んだってのもkanoseさんには向こうに拾われたクチだしな。韓流ネタで。
しかも、どんな人か誰なんか全くシランカッタし。ふつーにお礼のコメントとかしてたな。
うーむ。
いつの間に、私ははてなの中にいることになったのだろうか?
否。
いつの間に、私は自分がはてなの中にいると考えるようになったのだろうか?






……ってやっぱり全部、「非モテオフ」のせいじゃねーか、バーロー岬!!!*1






めでたくオチも出たところで、小論。



「らしさ」とは、「傾向」と言い換えられる。
すなわち、単体の質よりも、その集合としての量が総体=全体としての性質の判断を左右する。
そして、その全体的性質と自分の性質とを比較したときに、自らの持つ性質がそれと似通っていた場合、一致する部分が半分以上あると、体感として=主観として、感じられたときに、
全体と自分自身とを同一視することになるのではないか。
それが「帰属感」と呼ばれるものになるのだろう。
それはどこまで行っても、「主観的認知による」という枠から出るものではない。
自分と似た人間が多いと感じる集団に、人は「帰属感」を抱くということであろう。
であるならば、私がこの「美しい国」に「帰属感」を抱くことは、絶対にない。



そこから転じて、非モテやその周辺者にとって必要なのは「適応」ではなく「帰属」なのだということに気づいた。
だから、まずは発信することだ。
「真の非モテは行動しない」などという悪魔の証明を真に受ける必要などどこにもない。
それこそ真に「非」をいただくのならば、その原理原則を否定して見せてこそ非モテだろうに。



「適応」という生物的な生存戦略とは、一見、「コミュニケーション」を通じた政治的振る舞いと誤解しがちであるが、それは原則として「コミュニケーション」を必要としない内省的主観認知に基づいた行動である。
もちろん、すべての生物はコミュニケーションする。広い意味で。
だが、そこに意識は存在していない。言語を介して生まれ来た意識は存在していない。
あるのは自閉的な、自己保存的な感情だけである。
言語を介した「コミュニケーション」、意識を介した「コミュニケーション」は、本来、生物的な「適応」に関与しない。
生物に言語、そして意識はないのだから。
非言語的な行動を、言語的なものと錯覚するところに「適応」概念は成り立っている。
それにそもそも「適応」を言うのなら「不適応」も「適応」の一種である。
また、「適応」について「集団に対する同化」をのみ「正当」視するのならば、それは「迎合」ないしは「付和雷同」というべきだろう。



だから、体から湧き出す奇妙な理屈におぼれてないで、今そこにある方法論をこそ、体の外に見つかる論理をこそ、このネットという現実とは別のルートに流してもらえば、臨床とはまた別の現場で、何をか救いになる確率が高まるんじゃないですかと、前にも言ったんですが、何でシロヤギさんじゃなくてシロクマさんてば、あんなにそんなに「適応」にこだわるのかしら。



ただでさえ、「適応」という単語には、ネオダーウィニズム的な差別感が底流としてあるように思えてならないのに、さらにそれがあきらかにあからさまに悪し様な口上で露骨に述べられるとあっては、はたしてその意図と行動との間にいかなる連携=論理接続が存在しているのかということにも疑問が浮かぶ。



人間に対する論理よりも、生物に対する論理を人間に当てはめようとするその行為は、精神を相手にする者が、その精神の存在を否定するような行動を取っているということだ。
ビジネス的な観点で言えば、この恐ろしい混乱がよりはっきりする。
それはつまりは、商売道具を否定する論理を正当化しようとするという、自殺行為に等しい。



何かがどこかで次元が反転している、気がしてならないが、それは「現場とネット」を「公私の区別」に対比させて切り分けるという作為が生み出した混線なのか。








……あーもうこんなのは、「帰属理論」だのそのあたりの社会心理学でもって、とっくに説明済みなんだろう、な!!

*1:あとはてブのユーザー囲い込み効果のおかげ(?)ですかね。腐っても百傑。