コミュニケーション能力のないワタクシ


生理機能的なレベルからコミュニケーション能力のない人間として、改めて「自分が考えていたこと」というのを、覗き込んでみる。
自己の客体化。
内面的自我の観察たる内省ではなく、外面的自我への対象化を経た分析。
こんなことがほいほいできてしまうのがブログのメリットであり、そんなことは当たり前なのだが、恐ろしいことにそれについて本当に気づいていたのかどうかすら怪しいのが、自分の生理機能的レベルのコミュニケーション能力の欠如というヤツなのだ。



こころ世代のテンノーゲーム - 「お前にはコミュニケーション能力がない!!!」〜「暴力」について〜



コメント欄の自分の書き込みが自分で書いたような気がしない。
どこのブログの管理者にアウトソーシングしたのだろうかという、策士采配っぷり。


これ書いたときから比べてみれば、判ったこともあるし、「やっぱりわからないのだということ」も判ったのだが、わざわざコートを広げてお見せするほどのたいしたものではないので、闇に隠れてじっと手を見ることにします。